感動を捻じ曲げる者達

“感動は誰がつくるのか?”

2018年の平昌オリンピックが終わってからしばらく経ちました。スポーツ観戦はプロ野球以外ほぼ興味が無い私にとって、オリンピックは夏冬関係無くあまり興味を持てません。“再来年は東京で開催だと言うのになんだ!非国民だ!”なんて言われそうですが。

とは言えオリンピックやその結果を何も知らないでいるのは、一般常識に欠けるのも事実であるため、ニュースやメディアを通じて色々調べる訳です。

その中で個人的に、オリンピックを通して様々な違和感を感じざるを得ませんでした。素直に楽しめないのは不幸であると思いますが、それが本音なので仕方ありません。再来年の東京五輪を前に感じた・思った違和感をまとめておきたいと思います。

それらの違和感の原因は、冒頭の“感動は誰がつくるのか?”という命題への解にあると私は思いますが、様々な側面から考えてみたいと思います。

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Rankletのサムネイルをイイ感じに差し替える

S3に静的WordPressを移してから束の間、
今日の午前中にGoogleのPageSpeed Insightsの結果を見て衝撃を受けました。

“うわっ…私のサイト評価低すぎ…”

どないなっとんねん、と思って詳細を見ると画像が完全にNG。

99%削減できるっておかしい。TinyPNGで圧縮してるしそこまで派手な警告は今までも無かった。最近追加したものでアヤシイものと言えば…

こ い つ ら だ 。

og:imageで指定している画像を、Ranklet側のCSSで無理矢理小さく表示している状態が↑。超イケてねぇ。10位まで表示したらどうなるんだ??これを何とか解決したのが、今回の記事の内容です。

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WordPress on AWS構築の備忘録2

AWS上にWordPressを構築して割と直ぐですが、環境がガラッと変わりました。備忘録その2のメイントピックは、

  • 前回の記事の環境から静的WordPress on S3への移行
  • WordPress on EC2からローカルのWordPress on MAMPへの移行

です。ハマったポイントを重点的に書いておきます。この記事が問題なく投稿できていれば、移行はひとまず成功したことになります。

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ロシアン・オーケストラへの招待

アメリカンなクラシックについて語っておいて、ロシアンなクラシックについて語らないのは何とも不公平感があるように感じられてなりません。冷戦時代及びポスト・冷戦時代におけるソビエト・ロシアンなクラシックもまた、アメリカンに負けず劣らずのトンデモナイ録音が数多く残っているためです。

冷戦時代のロシアと言えばもちろんソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)です。社会主義国家と音楽には密接な関係があります。現在においても、最近一層騒がしい例の半島国なんて特に顕著なのですが、国民と国勢を鼓舞するという重大な役割が音楽に備わっています。つまり社会主義国家における音楽活動とは国家政策の一環なのです。音楽と政治が無関係では無いのは歴史が証明しています。ショスタコーヴィチにお詳しい諸兄にとっては何を今更と言いたくなる当たり前の事実でしょう。

そんな時代のソビエト物を聴いた人なら誰でも感じるでしょうが、ソビエトのオーケストラにおける金管、とりわけトランペットは革命の勝利とでも言うかのような赤いラッパなのです。ソビエトは何処かのなんちゃって独裁国家とは訳が違います。社会主義の理想と実現を声高らかに歌い上げるのがこの赤いトランペットであり、“立てよ国民!立てよプロレタリア!!”というメッセージを聴く者全てに伝える社会主義的プロパガンダのように聴こえてなりません。この赤いラッパの音色がまた病みつきになる中毒性を今でも尚保っています。ロシア物のクラシック音楽には多くの同志(単なるファンではない熱狂的信者)ができる訳です。

加えて、冷戦時代におけるソビエト物の録音には、アメリカのような資本主義国家に負けるな追い越せと言わんばかりの迫力と緊張感があります。科学・文化・芸術の世界においては、表からは決して見えない戦いが絶えず起こっていたように思うのです。未だかつて、ソビエト物ほど統一感のある音楽は存在していないでしょう。今回ご紹介する盤も半分以上がソビエト物です。そこから出て来る音楽に内在する魅力は、ソ連が解体された今においても十二分に通用する凄まじいものであり色褪せないものであると思います。

また、アメリカと決定的に違うのは、ロシアには大作曲家が数多く存在していた点です。枚挙すると切りがないほど多いです。その中でもチャイコフスキーは一際特別な存在のはずです。チャイコフスキーの音楽はロシア国民にとって大きな誇りであることに間違いありません。それにソ連の政治体制が加われば、国の威信を掛けてそういった音楽の録音を残そうとしたことにも納得が行きます。

自由とは名ばかりでだらしのなくなった現代の聴衆に対し、ロシアンなクラシック音楽が訴えてくるものが確実に存在します。束縛のない自由はただの無秩序であることを、十分過ぎるほど聴き手に分からせてくれるのです。そんなソビエト・ロシアにおけるクラシックの世界に踏み入ってみたいと思います。

尚、チャイコフスキーの”眠れる森の美女”、”白鳥の湖”、”くるみ割り人形”といったバレエ音楽は1つも無い事を予めご了承願います。それからショスタコーヴィチの交響曲もほとんどありません。ショスタコーヴィチは別の機会があれば取り上げたいと思いますが、多分その機会は当分来ないと思います。

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アメリカン・オーケストラへの招待

“America First!”と叫ばれる昨今のトランプ大統領政権下、クラシック音楽でもそんな古き良きアメリカ至上主義的世界観を楽しんでみようではないか、というのがこの記事の趣旨です。クラシックレコードにもご多分に漏れず、20世紀後半におけるアメリカ全盛期の情勢が実に良く反映されていると思われるのです。

クラシック音楽と言えば、”幼少期からピアノやヴァイオリンを弾いてきた人間にしか楽しめないのだ!”という、一昔前の教養主義的な価値観が今も尚根強いのかもしれません。そんな上流でお上品な楽しみ方ができるのも間違いないのですが、それだけでは決して無い気がするのもまた事実です。

日本にはブラス(Brass)の文化が根強くあります。管楽奏者にとっては、ウィーンやベルリンにおけるお上品の極みのような伝統的クラシック音楽よりも、ニューヨークやシカゴにおけるアメリカナイズされた近代的クラシック音楽の方が、クラシックの世界にずっと入り込み易いと思います。ブラスが比較的活躍する録音が多いからでしょう。オーケストラの管楽奏者でニューヨークフィルもシカゴ響も知らない人間は皆無なはずです。

アメリカのオーケストラはとにかく馬力が違います。文字通り桁違いなのです。冷戦時代が一番顕著だと思います。ソ連と競っていたのは何も宇宙開発のような科学の分野だけで無く、文化の分野であるクラシック・レコードにもその影響が垣間見えるのです。この時代のアメリカン・オーケストラとは、Ameriacn Dreamと”We are the Champion”の世界であり、車で言えばCadillacやMustang、バイクで言えばHarley-Davidsonといった桁違いの排気量を誇る巨大エンジンを豪快にブチ鳴らす世界なのです。Mercedes BenzやBMWの世界とはまた一味も二味も違うのです。当時の録音を実際に聴いてみれば良くわかります。

そんな訳で、所有するレコードから一際アメリカンでシンフォニックな録音を中心に掻き集めてみました。指揮者毎にまとめながらご紹介していきます。ほぼ全て後期ロマン派以降の音楽で占めているのは半ば必然です。アメリカンなオケの良さが一番引き立つ楽曲がその時代に多いからです。また、マーラーの録音が多い根拠の半分は私の趣味、半分は歴史的必然です。マーラーが反ユダヤ主義の魔の手から逃れた先がアメリカ・ニューヨークだったからです。

尚、言うまでもなくとにかく数が多いです。26枚もあります。これら全てを聴き通せなんてアホな事は決して言いません。つまみ食いでも大いに結構です。これをきっかけに1枚でも多くの盤が聴かれる事、1人でも多くの人間がクラシック音楽の世界に入り込む事を祈るばかりであります。

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Klaus Tennstedt interviewed by John Amis ~ ジョン・アミスによるクラウス・テンシュテットへのインタビュー

テンシュテット/ロンドンフィルのアルバム:マーラーの交響曲第1番他(1990年ライブ盤/BBC Legends)には、BBCのニュースキャスター、ジョン・アミスによるテンシュテットへのインタビューが収録されています。元々はBBCのラジオで放送された音源でしょうね。

ここらで文字にでも起こしてみるか、と何となく思い立ったので書いておこうと思います。元は全て英語です。

本インタビューの主なトピックは、

  • ロンドンフィルとの関係性
  • マーラーを指揮する事、交響曲第6番(“悲劇的”)の解釈

についてです。割合にすれば半分以上がマーラーについてです。

このインタビューに出てくるテンシュテットは咽頭がんの術後で、声が非常にガラガラであり、聴き直す度に悲しい気持ちになりました。尚も賢明にマーラーについて語るものなのだから、じっくり聴かない訳には参らなくなります。

テンシュテットの英語は特にバリバリでガラガラの口語であるため、私の聴き取りも翻訳も完璧ではなく、アヤシイ部分が残っています。予めご了承下さい。なので最初に英文を載っけておきます。

尚、私は英語の通訳業者でも英文翻訳家でも無いため、ここに記している英文と日本語訳の正確性について一切の責任を持てません。無用なトラブルも避けたいため、無断転載もお断りさせて頂きます。それでも宜しければ、ご一読下さい。

以下、英文、日本語訳、日本語訳の注釈の順に載せておきます。特にアヤシイと自己分析する箇所には黄色のハイライトを付けておきます。分からんものは分からん!
“ここはちゃうねん!こうやろ!!”というのがもしあれば、お知らせ下さい。Help me, please!

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マーラーの交響曲第2番に想うこと

マーラーの交響曲第2番とは、“全人類の救済と復活”というテーマを持った舞台祭典劇です。私はマーラーの曲の中では1番、5番、9番のような純器楽曲が何より好きですが、彼の本懐は2番4楽章”原光(Urlicht)”のようなリート(Lied,歌曲)にあります。”さすらう若人の歌”、”子供の不思議な角笛”のような初期の歌曲も十分にロマンティックだと思います。

この2番から、マーラーの思想・哲学・宗教観が大胆に発揮されて来ます。2番から4番までの間は、交響曲とは謂わば彼の信仰告白であるような性質が特に強くなります。それらのルーツは幼少期のユダヤ・カルチャーでの生活、キリスト教教会での少年合唱、ドイツ哲学や文学の読書経験にあると言って良いと思いますが、それらが熟成され音楽として顔を出すようになるのはこの2番から、彼の年齢にすると約34歳頃の時からなのです。

また、交響詩(後の交響曲第1番)が最初に作曲されて以降、この2番が完成するまでの期間が極めて長い事も特徴的だと思います。その途中で交響詩の改訂、”子供の不思議な角笛”の作曲、指揮者としての独り立ちと武者修行が挟まっている事情があるにせよ、およそ7年も経っているのです。彼の作曲人生の中で最も長いブランクがこの時期です。

単純に時間を掛ければ掛けるだけ良いと言う訳ではありませんし、音楽学的な充実さは後年曲に譲るとしても、この曲が内包する精神性・標題性は非常に濃密で独特だと思います。ベートーヴェンの9番にだって負けていないと思います。晩年、とりわけ5番以降の作曲周期が1〜2年間と比較的固まっている事と比べても非常に対照的だと思います。

ここでも幾つかのテーマに分けて、マーラーの2番をどう見ているのかまとめておこうと思います。これまた非常に長くなってしまったので、見出しだけ最初に貼っ付けておきます。

■交響曲第1番との関連性
■1楽章:”葬礼”という標題性
■”英雄”とは誰だ?
■”葬礼”のその後
■2楽章:美化された過去への陶酔
■3楽章:マーラーの自虐再び
■ハンス・ロットのスケルツォ、狂気と死と鬱憤
■4楽章:”生き天国”への憧憬
■5楽章:”最後の審判”の到来と全人類の”復活”
■マーラーによる生死の肯定
■総括:マーラーの自伝として見る2番
■余談:交響曲と声楽

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マーラーの交響曲第1番に想うこと

“Who is John Galt?” / Atlas Shrugged / Ayn Rand

マーラーの交響曲第1番とは、“青春と若き悩みからの開放”をテーマにした抒情詩です。この曲は元々は交響詩として構想された音楽であるため、標題が取り去られた交響曲であっても十分過ぎる標題性を感じるのはおかしい事では無いと思います。

ここでは幾つかのテーマに分けて、マーラーの1番をどう見ているのかまとめておこうと思います。また、書き進める内にあまりにも長くなってしまったため、最初に見出しだけ貼っ付けておきます。

■”巨人(Titan)”という標題性
■巨人の正体その1:”巨人はマーラー本人である”説
 ●1楽章:”マーラーの目覚め、悦び、悩み”
 ●2楽章:”マーラーの友情”
 ●3楽章:”マーラーの自虐”
 ●4楽章:”マーラーの愛の勝利”
 ●総括 :”マーラーの1番は彼自身の人間喜劇”である
■巨人の正体その2:”巨人は友人ハンス・ロットである”説

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マーラーの交響曲第3番に想うこと

マーラーの交響曲第3番とは“人と自然”の芸術です。

しかしながら、私にはどうにもこの曲を単純で分かり易い”田園交響曲”や”自然交響曲”のように聴こえる気がしないのです。”夏の交響曲”と言うのも良く分かりません。なのでこの曲をどう見ているのかここにまとめておきたいと思います。

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