カラヤンの個人的名盤

ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan)の名演は数知れず、今更何か言うべきことは私にはありません。

しかしながら、あまりに数が多い一方、その中で”敢えてこの1枚”となる録音は、そう多くは無いと思います。
(それでも結局、十数枚になってしまったのですけど。)

年をとるとどうにも感性や偏見が固くなっていけません。今の自分が思うカラヤンの名盤を年代順にまとめておきます。


■ブラ1に始まりブラ1に終わるカラヤンBPOの”No.1″

カラヤンの録音を語る上で、ブラームスの1番は絶対に外せません。けれども録音史が云々なんていうウンチクをズラズラ述べたい訳ではなく、純粋にこの1枚が好きなのです。

1963年の録音で、録音状態だけを取るなら70年代・80年代の同じDGの録音とは比べ物になりません。その比較的悪い録音状態もあってか、この1枚はこの1枚以外に有り得ない録音になっていると思います。

1楽章から2,3楽章までは他の年のカラヤンとそう変わりは無い気がするものの、4楽章だけは決定的に違うと思います。中間部のTrb.とFg.のコラール、フィナーレのファンファーレは、唯一無二のものに違いないと思います。

後にも先にも”神々しい”という形容詞は、このコラールとファンファーレのためだけにあっていいものだと思います。金管・木管・弦楽のバランスがこれほど神がかり的に揃ったブラ1は、今のところ私は知りません。派手だと言われれば確かに派手ではありますが。

3,40枚近くブラームスの1番を聴いてもいれば、もっと真面目であって欲しければベームを選ぶし、もっと厳密であって欲しければヴァントを選ぶし、もっと情熱が欲しければミュンシュ/パリ管を選ぶし、もっと繊細で小奇麗であって欲しければ小澤/サイトウキネンを選ぶし、全集としての完成度であれば70年代を選びます。しかし私にとってのブラームス1番のNo.1は、このカラヤンBPO60年代以外に考えられません。


■壮大な音響スケールのシベリウス7番

以前どこかにも書きましたが、私はシベリウスの音楽が大嫌いです。それでも尚シベリウスの音楽を聴くことができるのは、こういった如何にも”シベリウスらしくない”録音があるからです。大嫌いだと言うからにはそれなりに聴いてはいるつもりです。だからこそ、これは明らかにシベリウスではないと思います。

シベリウスの交響曲は、特に3番以降になるにつれて、ニールセンと同じく段々と素朴で独りよがりな音楽になると思っています。そんなシベリウスの音楽的世界観を派手にぶっ壊してくれるのが、この1967年の録音です。R.シュトラウスのアルプス交響曲を聴いているかのような、ダイナミクスレンジの幅は流石カラヤンといった具合です。

シベリウス・ファンから怒られるでしょうが、聴き応えのあるシベリウスはこれぐらいだと思います。後はバーンスタイン/VPOの最晩年盤ぐらいでしょう。本家本元フィンランドのオケによる演奏も含め、その他大多数のものには我慢が付き纏います。そもそもシベリウスの交響曲に聴き応えを求めること自体が間違っているのでしょう。自然に身を任せ、聴こえてくる音楽に半ば無意識的にでもなれば、心地よく聴けるのでしょうが。


■協奏曲というより”競争曲”または”狂騒曲”が似合うドヴォコン

『ゴジラvs何とかかんとか』という映画が流行ったりしましたが、これは『チェリストvsオーケストラ』の一大エンターテイメントです。ロストロポーヴィチの類稀な演奏も何のその、カラヤン率いるBPOが負けじと音圧で圧倒します。

協奏曲らしいドヴォコンを聴きたいのであれば、シフ/プレヴィン/VPOに勝るものは無いと思いますし、本場チェコのドヴォコンを聴きたいのであれば、ウェーバー/ノイマン/チェコフィルがありますし、それでもロストロポーヴィチの協奏曲が聴きたいなら、小澤/ボストン響があります。

でもやっぱり、最後の最後にはこの1枚に戻ってきてしまいます。映画でいうところの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のように、たまに聴くと面白いし飽きないのです。


■”ぼくのかんがえたさいきょうのオーケストラ”の具現化

ヴァイオリンのオイストラフ、チェロのロストロポーヴィチ、ピアノのリヒテル。
管楽器奏者であった自分でさえ、知らないはずがない名だたる大奏者達が揃っています。そんでもってオケがカラヤンとベルリンフィル。語るに及ばず。名演でない訳がありません。

ガンダムで言えばキラ・ヤマトとストライクフリーダムガンダム。一見しただけで分かる最強の組み合わせです。聴いてみてもやっぱりな、としか感想が出てきません。こんなに分かり易く上手いトリプルコンチェルトは他にありません。

カラヤンBPOのトリプルコンチェルトでは、後年にムター(Vn.)/ヨーヨー・マ(Vc.)/ゼルトサー(Pf.)のものがDGから出ています。カラヤン80年代のベートーヴェン全集に付いていました。私は断然こっちのEMI版派です。DG版はムターのアクが私にとって強すぎます。ムターはムターで聴く方が好きです。


■比類無き完成度を誇るベートーヴェン全集

ベートーヴェンの交響曲について、私は特に思い入れがある訳ではありません。思い出補正により7番が一番好きなくらいで、その次に5,3,6番と続き、第9に至っては天邪鬼のためほとんど聴きません。

肝心の7番もC.クライバー/VPOの録音があるので、ほぼ満足しているといっていいのです。そんなライト層にとって、これだけの完成度を誇る全集が手軽に手に入ったことには素直に感謝しなければなりません。

一時期、この全集が手に入ったせいでベートーヴェンを買うのを止めた程です。それ程圧倒的なものでした。他の趣向、例えば古楽器演奏ではガーディナーの全集も極めて完成度の高いものだと思います。しかし現代ピッチに慣れていると違和感が拭えません。やっぱりライト層にはカラヤンが一番です。


■お祭り騒ぎのドヴォルザーク8番

カラヤンの最盛期が1970年代であったことに対して、私も疑いません。確かにその通りだと思います。しかしながら”敢えてカラヤンで”聴きたいとなるものは、不思議と70年代には少ないのです。

↑で紹介したベートーヴェンの他、ブラームス、チャイコフスキー、シューベルト他、全盛期だと思う録音は多数あります。一方でそれらには、もっと相応しいと思える他者の録音があると思うのです。なので70年代の紹介はこれが最後となります。

ドヴォルザークの8番と言えば、簡単であり、アマオケの登竜門とでも言うような、手を抜いたふざけた演奏が多いのも事実だと思います。そこで私は敢えて言いたい。簡単であると見下すのであればこれを超える演奏をやってみろ、と。

言っておいて難ですが恐らく不可能だと思います。聴いてみれば分かります。特に4楽章コーダ。まずやろうとするオケすらないでしょう。だからこそこの1枚はユニークなのです。


■カラヤン+R.シュトラウスの極地

ここから先は全て1980年代、カラヤン晩年の録音になります。
カラヤンほどリヒャルト・シュトラウスの音楽に合う指揮者は中々いません。後はケンペ/SKDぐらいでしょう。カラヤンのR.シュトラウスから敢えて一枚を選ぶとしたら、このアルプス交響曲になります。

盛大な”日の出”の出落ち具合、ウィンド・マシーン/サンダー・マシーンもビックリな”雷雨と嵐”。最近だとティーレマン/VPOも良い(コントラバス・トロンボーンまで聴こえる音質だから)ですが、曲本来のスケールを一番良く体現しているのはカラヤンでしょう。


■ムターvs晩年カラヤンのブルッフVC

また大怪獣シリーズか、と言っても流石にロストロポーヴィチとのドヴォコンほどオケが凄まじいものではありません。

トリプルコンチェルトではどうも浮いたように聴こえて仕方なかったムターですが、ブルッフでは別です。自由奔放なムターのヴァイオリンに、これまた自由奔放なオケを付いて来させるのは、カラヤンにしかできないでしょう。メンデルスゾーンの方は申し訳ないですが、曲自体が生理的に受け付けないので何とも言えません。


■カラヤン唯一のニールセン4番

↑でのシベリウスもそうでしたが、カラヤンのニールセンも北欧音楽に疎い私にとって有難い1枚です。カラヤン節でニールセンをやりきります。これとブロムシュテット/サン・フランシスコ響が唯一聴けるニールセンです。

ニールセンらしいニールセンなら、N.ヤルヴィとP.ヤルヴィそれぞれ親子の録音がいいのではないでしょうか。ライブラリを漁っていたらドゥダメルのニールセン4,5番なんてのもありました。これも私にはNGです。自分の感受性の狭さには嫌になります。かと言って嘘を付くよりはよっぽどましだと思いますが。


■非ロシア的なショスタコーヴィチ10番

カラヤン節はグローバルです。当然ロシア音楽も例外ではありません。純粋に音楽を追い求め、ショスタコーヴィチの音楽までカラヤン節でやりきるのは、呆れを通り越して尊敬に値します。

カラヤンのタコ10と言えば他に、1966年のモスクワライブがあって、確かにあちらもすごい。ただし純粋に鑑賞するなら、こっちのレコーディングの方が優れています。
こっちで聴こえてくるのはショスタコーヴィチの音楽というより、カラヤンの音楽と言った方が正しいのかもしれませんが。

そんな非ロシア的で大衆的なショスタコーヴィチに、とうとうライバルがやってくる時代になりました。

もちろんアンドリス・ネルソンスです。ネルソンス/ボストン響のタコ10はとても聴きやすいです。しかしどこかポップスなような軽さが気になります。カラヤンのタコ10が聴かれなくなる時代が来るやもしれません。


■晩年カラヤンのマーラー9番ライブ

晩年のカラヤンの録音で、この1枚を選ばない訳には行きません。とは言いつつ、私はマーラーの9番でもバーンスタイン派なのでそこまで好きではないのですが。

これも↑のショスタコーヴィチと同じく、マーラーの音楽を期待して聴くものではありません。カラヤンとBPOの芸術はこのマーラーの9番に至って極まるといって良いでしょう。バーンスタインの真似から3年後で、真似から始まったにしては美しすぎるぐらい美しい演奏です。むしろマーラー嫌いにお薦めの1枚です。マーラーはこれしか聴かないという人がいても可笑しくありません。


■究極のトリスタンとイゾルデ

カラヤンのワーグナー作品集と言えば、70年代EMI版の方が有名でしょう。私も好きです。しかし”トリスタンとイゾルデ”だけはこっちのDG盤の方が好きです。最盛期よりも晩年らしい粘り気と苦悩に満ちた方がそれっぽいからです。

他のワーグナー作品集のアルバムと比べると、このDG盤は選曲が渋すぎます。

  • “ターンホイザー”より序曲
  • “ターンホイザー”よりバッカナーレ
  • “ニュルンベルクのマイスタージンガー”より第3幕への前奏曲
  • “トリスタンとイゾルデ”より第1幕への前奏曲
  • “トリスタンとイゾルデ”よりイゾルデの愛の死

マイスタージンガーなんてマニアックな3幕です。ワーグナーが本当に好きな人で無ければまず買うことはありません。それだけの価値が私にはあると思います。本当に好きな人だけが聴けば良いのです。


■カラヤンBPO最後のブラームス1番

ブラームスの1番から始まったカラヤンBPO、最後に聴くのはやっぱりこの1枚しかありません。同年の東京公演でのブラームス1番がDGから出ていますが、私は断然ロンドン公演派です。

BBCが用意した録音機材の限界・調整不足だったのか、BPOの演奏が想定以上に凄まじすぎたのか、原因は分かりませんが、4楽章でティンパニが大音量でトレモロを畳み掛ける場面になると、音量(信号強度)の上限に引っかかってサチっている事が嫌でも分かります。

その点に関してDG盤東京公演は安心して聴くことができますが、ライブ収録らしからぬ真面目な録音なので少し期待外れに感じてしまうのです。演奏の違いと録音状況の違いが合わさって、ライブらしい燃焼度はこちらのTESTAMENT盤ロンドン公演の方が圧倒的に上だと思います。

肝心の音楽についてはもう何も語ることができません。ただただカラヤンの音楽に敬服するのみです。シェーンベルクの”浄められた夜”(弦楽合奏版)も同様に、有終の美を飾るに相応しい圧倒的な演奏です。普通のテンションで聴くならやはり60年代の録音を取りますが、ここぞという時にこれを聴くと気が引き締まります。


■カラヤンVPO最後のブルックナー7番

カラヤンBPOとはお別れしましたが、VPOとの録音が最後に残っています。私はカラヤンのブルックナーが大嫌いでした。BPOとの全集は未だに嫌いですし、最晩年の8番も好きになれません。

しかしこの7番だけは、今も悩んでいますが、認めざるを得ない程美しいのです。これはテンシュテットでいうマーラー7番、バーンスタインでいうブルックナー9番のようなものです。ブルックナーらしくなくとも伝わってくるものがあります。これを嫌いにならず本当に良かったと思っています。


以上約14枚が、今の私にとってのカラヤンの名盤です。私も一時期、躍起になってアンチ・カラヤンを気取ったり、カラヤンの音楽から離れるべく色々なCDを漁ったものですが、良いものは良いと認めることが肝要であることに気付きつつあります。

まだまだ苦手な指揮者、苦手な音楽はたくさんありますが、少しずつ偏見が取れていければいいと思います。

上乃木 燕二
クラシック音楽のブログを運営しています。後期ロマン派〜新ウィーン楽派がメイン。交響曲ネタが多目。オペラ・室内楽を扱うべく奮闘中。元トロンボーン奏者。チェロやりたい。マーラーとテンシュテットが心の師匠。