マーラーと現代音楽批評におけるアマチュアリズムに関する陳述

“Tradition ist nicht das Halten der Asche, sondern das Weitergeben der Flamme.”
Original Photo Source: GustavMahler.com

グスタフ・マーラーの交響曲第1番の録音評価に関して、ワルター盤は古典的な名盤とされてきたことがある意味不遇です。それが現在評価されるべき人に評価されていないと思うからです。ワルター盤を灰として崇拝する連中がいるからです。


■クラシック音楽批評とアマチュアリズムについて

本当のマーラーって何でしょうね?私の中にもぼんやりと存在していますが、それは私やあなたの想像上の表象に過ぎないのではないでしょうか。それを他人に分かって貰うというのは非常に難しいことです。絶対的なマーラーなんてものは無く、どんな盤にも程度に差はあれど良さがあれば悪さもあるはずです。

ことアマチュア・レビューにおいても、マーラーでは○○は認めない、●●こそマーラーだと言わんばかりの極論が多い気がします。ブルックナーも似たような感じです。雑誌に乗った名盤を聴き、プロの表現を借りれば自分にも批評ができると信じて疑わない哀れなアマチュアがたくさんいます。プロが敢えて極端な主張や表現を使うのはコマーシャリズムのためです。その方が話題を呼び儲かるからです。そんな謳い文句に踊らされていることに気付かない内は、アマチュアのレビュー(批評)は所詮子どものおままごとに過ぎません。

そんな状況も極端な録音が多いので致し方ない気もします。こんなことでは”本当のマーラー”なんてものを分かって貰うばかりか無視されるだけです。私達はプロではなくアマチュアなのですから。あるいは同じ穴のムジナ同士で慰め合うだけです。ただでさえ閉鎖的なクラシック界隈が益々閉鎖的になります。

如何に理路整然とした語り口調であっても見抜く人は簡単に見抜きます。こういった書き手が本当は何がしたいのか。批評がしたいのではなく無償の賞賛を貰いたいだけなのです。何かと報われない音楽鑑賞の努力の軌跡を認めて欲しいのです。あぁ、なんて博識な方なのでしょう!その通りなのでしょう!と。それが本当に賞賛なのか善意からの哀れみなのかは、神のみぞ知ることでしょう。

ワルターの録音の意味は分かりますが、今も尚絶賛されている理由の一部に異議を唱えたくなります。良く読むとただのワルター崇拝でしかない信仰告白に対してです。本当に音楽として真正面から向かい合っていますかな?と。本当に音楽を分かっていないのはどちらですかな?と。結論ありきで無理矢理その根拠をごまかしてはいないですかな?と。評論家の真似事なんて、いい歳してそんな恥ずかしいことは止めて、自分が思ったありのままの地の文で書いてみてはいかがですかな?と。

“ワルターはマーラーの弟子であり良き理解者であった”ことを根拠としてワルター盤を絶賛することは、ワルター本人のアイデンティティと音楽性を否定する矛盾を孕んでおり、この信者達はワルターのマーラーを崇拝しているのか、ワルターの境遇を崇拝しているのか、結局何が言いたいのか分からなくなるレビューでもあります。これらにはこのワルター盤を絶賛しないと“本当のマーラー”を分かっていないと思われることを恐れているかのような、悪魔崇拝じみた、邪教崇拝じみた狂気を感じます。

そういった信仰告白には大抵、何処かで聞きかじった表現と単調でつまらない薀蓄を伴っていて、結局その音楽が音楽的に何が良いのか悪いのか、むしろ何が良いのか悪いのかと”思った・感じた”のかさえサッパリ分からない。それを読んで少しも聴いてみようとも聴かないでおこうとも思えない無駄な文章です。音楽を客観的に、個人からなるべく切り離して批評するのはプロの仕事です。普通の素人には無理です。薀蓄が好評の理由にも悪評の理由にもならずただの薀蓄でしかなくなるのがアマチュアらしさであり、アマチュアの限界であり、アマチュアたる証左です。自分もアマチュアであり語る相手もアマチュアであることを見誤っているというのもアマチュアらしい根本的な誤解です。

私にはぶっきらぼうでも、拙くても、正直で突拍子もないただの感想の方がよっぽどためになりますし愛好家らしいと思います。マーラーも愛したアマチュアリズムというやつです。上述したような無償の賞賛を求める長ったらしいただの薀蓄より、「△△の▲▲がいいと思った!すげぇ!」だけの感想の方が価値があります。そう思った自分なりの理由や感触も伴っていると尚良いでしょう。

そういった単純な感想を臆せずもっと発信するべきです。今はそういった小さな発信も大事なデータになる時代です。薀蓄も高尚な表現も必要ありません。アマチュアなのですから。好きか嫌いかで語ることの何が悪いのか。見栄や見栄えなんてもってのほか!それを馬鹿にする方こそアマチュアリズムや愛好の意味を全く理解していないのです。そういった連中がマーラーの何たるかを語るほど皮肉なことはありません。相手にする価値は微塵もありません。時間の無駄です。せいぜい言わせておけばいいのです。今やクラシック鑑賞とは教養でも格式高いものでも何でもない、ただの趣味の1つです。クラシックを嗜むのがアーリア人ではありませんし誰でも平等に楽しめるものです。連中はそれも勘違いしているので尚更手に負えません。

クラシックが若者に広まらないのは堅物を気取った、興味もないのに薀蓄ばかり傾けるやっかいな(精神的な)御老体が多いのも一端にあるはずです。Yahoo知恵袋でも、質問者の意図することと異なった回答ばかりなのを見るとゲンナリします。誰もあなたの薀蓄を訊きたい訳ではないのです。なりたくないですやん。ああいうのに。耳貸せば優しくなるかもしれんし意外とええ人かもしれんけど、面倒くさいですやん。ああいうのと絡むの。だからなんなん?(So what?)なんて言うたらヒステリーでも起こしそうですやん。はて私もそんな連中の一員にすぎないのでしょうね。

上乃木 燕二
クラシック音楽のブログを運営しています。後期ロマン派〜新ウィーン楽派がメイン。交響曲ネタが多目。オペラ・室内楽を扱うべく奮闘中。元トロンボーン奏者。チェロやりたい。マーラーとテンシュテットが心の師匠。