チャイコフスキーの交響曲第6番”悲愴”の個人的名盤

チャイコフスキーの後期交響曲の中で、何より好きなのは6番”悲愴”です。慟哭するかのような激しい展開部を持つ1楽章、聴いた後には思わず消滅してしまいそうになる繊細な4楽章には、オーケストラで音楽を聴く醍醐味を感じます。こんな曲は他に中々ありません。

私もご多分に漏れず、ロシアンな悲愴が大好きです。とりわけソビエトとその時代の名残をもつオーケストラから放たれる音色には、それら以外に有り得ない悲愴の念を感じるのです。“音を外しでもしたら即刻シベリア送りだ”とでも言わんばかりの緊迫感は、悲愴を悲愴たらしめる最大の要因です。

チャイコフスキーの他の交響曲、明るくて分かりやすい4,5番なら非ロシア的な録音でも良さを感じますが、この6番だけはどうしてもロシア物に軍配を上げてしまいます。これから幾ら新しい、綺麗な音質の悲愴の録音が増えようと、これらにはこれらにしかない魅力があると私は思います。

4/5がロシア物で極端なものばかりですが、個人的名盤としてご紹介します。


■スヴェトラーノフ最初のステレオ録音

スヴェトラーノフ/USSRの最初の悲愴を聴くと、ソビエトの雪に囲まれた殺風景を感じさせる悲愴感に包まれます。その殺風景に立つ一軒の小屋の中で、轟々と燃える暖炉を前にして最期の時を待っているかのような気分にさせられます。

後年である90年代の東京ライブや録音も良いものですが、この最初の録音が一番好きです。汚い音質の録音の方が悲愴感を誘うからです。他のロシア物と比べて人間味を感じるのもプラスなポイントです。ロシア物らしくトランペットの音色は赤いけれど、大げさで叫ぶような表現には奏者の方から自然と出てきたような人間臭さを感じます。”悲愴”という有機的なテーマを持つ曲にとってはその方が聴きやすいです。私の一番好きな悲愴の録音でもあります。


■ムラヴィンスキー/レニングラードフィル

ロシア物の悲愴で一番最初に聴いたのが、このムラヴィンスキー/レニングラードフィルの1枚です。とりわけ1楽章の展開部は常軌を逸しています。他の国のどのプロオーケストラであっても、これだけ速く正確にピッタリと演奏することは不可能だと思います。管弦問わず極めて厳粛にムラヴィンスキーに付いてきます。

スヴェトラーノフ盤と違ってこちらは無心です。ムラヴィンスキーの棒と命令にのみ忠誠を誓い命を捧げているかのような、ひたすら楽譜にある音符を正確無比に並べることに固執します。これには奏者達の悲愴を感じざるを得ません。ここまで非人間的な音楽は中々ないでしょう。あのショルティ/シカゴ響ですら可愛く思えてしまう恐怖と哀れみを感じます。


■ロジェストヴェンスキー/モスクワ放送響

ロシア物の中でもぶっち切りで炸裂した演奏なのが、ロジェストヴェンスキーの1枚です。鑑賞する時はボリュームの調整に神経を使います。究極的に爆発する赤い金管が聴こえてくるからです。

それでもロジェストヴェンスキー盤を聴くのは、これまた極めて民主的な悲愴を聴かせてくれるからです。快速な方が好みであればスヴェトラーノフ盤一択ですが、ゆったりとした方もイケるならロジェヴェン盤もありです。


■ゲルギエフ/キーロフ管

ゲルギエフのこの時代にもなるとソビエト臭さは薄くなります。こちらは極めて激情型の悲愴です。スヴェトラーノフに近い趣がありますが、あちらが冷たい青い炎を燃やすのに対し、こちらは情熱の赤い炎を燃やします。

ゲルギエフの唸り声が時々耳障りですが、チャイコフスキーの音楽にここまでゾッコンしているのは彼ぐらいです。気持ちが悪くなるぐらい濃厚な悲愴が聴けます。好きな人にはたまらないでしょう。もちろん私も好きです。


■カラヤン/BPO最後の悲愴

カラヤンの悲愴は私にとって無駄になる程たくさんあります。
手持ちだけでも、

  • 1948年 ウィーンフィル EMI
  • 1955年 フィルハーモニア管 EMI
  • 1971年 ベルリンフィル EMI
  • 1976年 ベルリンフィル DG
  • 1986年 ウィーンフィル DG
  • 1988年 ベルリンフィルライブ DG (これ)

の6種類もあります。ロシア物の悲愴に慣れ親しんでいると、正直言ってあまり好きではない録音がほとんどです。4楽章は良いものの、1楽章のぎこちない展開部がいつまで経っても好きになれません。悲愴の大事な聴きどころなのにです。

ただし最後の東京公演の悲愴だけは、私にとってのデメリットに目を瞑るだけの良さがあると思います。最後のブラームス1番と同じように、ライブ盤だけあってカラヤンの気迫が音となって伝わってくるからです。

カラヤンの音楽は好きな私にとって、これだけ分かりやすく重厚なカラヤンの音楽であれば好きになります。極めて西洋的なチャイコフスキーですが、これはこれで独立した悲愴としてアリです。悲愴の録音に対する私の感受性のハードルはひたすらに上がるばかりです。困ったものです。

上乃木 燕二
クラシック音楽のブログを運営しています。後期ロマン派〜新ウィーン楽派がメイン。交響曲ネタが多目。オペラ・室内楽を扱うべく奮闘中。元トロンボーン奏者。チェロやりたい。マーラーとテンシュテットが心の師匠。