日本人と”名盤”という幻想

日本人というのは私にはどうにも、他人の目と耳と鼻を気にし過ぎるきらいがあるように感じます。外資企業で働き、海外国籍の方々と研究や仕事をしてから益々その感じは強まりました。

私のようなブログをWeb上に公開している人間は、ともすれば気にし過ぎるに越したことは無いと言われそうです。表社会では常識・礼儀・マナー・節度、そんな事ばかり重視される一方で、インターネット上では炎上することもままある、矛盾していて、陰湿で根暗な民族だと思います。日本人だけでなくどの民族も似たり寄ったりなのでしょうけど。

かと言って日本人は自己主張が少ない、とは言えないと思うのです。インターネット上の仮想空間では、表社会で溜まった鬱憤を晴らすべく色々な事が発信されています。今はもう廃れてしまって久しいですが、昔はここみたいな個人ブログが非常に流行ったものでした。

一方、海外のWebサイトで、例えばブルックナーの8番の”名盤”を探そうとすると、個人ブログが全然引っかかりません。あることにはあります。熱心なファンもいればアンチもいます。たまたま見つけた”ブルックナーが大嫌い”を投稿した女史の奮闘記は、読んでいて思わず吹き出しました。ブルックナーと交響曲第8番に対する生々しいhateの叫びが聴こえてきます。面白いので是非探してみて下さい。

Google UKやGoogle USAで検索して引っかかるのは、gramophone、BBC、Guardian、NewYorkerといった商業誌のWeb版、TalkClassical、Redditといった掲示板でのディスカッション、その後に個人ブログ、と来ます。

日本と大違いではありませんか。日本のWebサイトで”名盤”を探すと必ずと言って良いほど、まず最初に個人ホームページかブログが来ます。それもたくさん。古今東西、あらゆる種類の録音が紹介されています。コアなクラシックファンがたくさんいることは非常に喜ばしい限りだと思います。

この違いとそこから見えてくる事について、考えたいと思います。


まず、海外における”名盤”とは、”best recordings”または”favorite recordings”と定義します。前者はコマーシャリズムの観点で、情報発信者が読者に売り込みたい、売れるに違いないと考えている盤について述べている意味合いが強いです。後者はインディビジュアル(個人的)な観点で、熱心なファンが自分の好きな盤を世にもっと広めたいと考えている意味合いが強いです。ただし言葉の厳密性はなく、書き手によっては個人でも”my best recordings”でもって語ることも普通です。

日本における”名盤”とは何かを考える上で、どうしても避ける事ができないのが、鬱陶しい日本人音楽評論家の戯言です。2017年にもなってこんな雑誌が堂々と売られているのです。信じられません。著名な評論家の、さも自分こそがクラシック音楽を最も理解しているのだ、耳と感性を持っているのだという傲慢な態度と極端な論調によって、クラシックファンに対して多大な影響を与えてきたことには違いないはずです。

それらはもはや時代遅れです。その影響下にある哀れなアマチュア評論家達については別の記事で言及しています。彼らの言う”名盤”こそが優れた音楽なのだという主張と教義が私は大嫌いなので、本ブログのCD紹介記事では敢えて”個人的”名盤と銘打っています。あのような評論擬(もど)きにこちらから擦り寄ってまで一緒にしたくないからです。

日本人評論家擬きの戯言には万死に値する罪があります。日本のクラシックファンに対して”名盤”という固定観念を植え付けたからです。

日本人の性質として、私も例外ではなく、クラシック音楽の録音を探す時に”名盤”というフレーズを頻繁に使います。チンケな自分の感性の他に、自分以外の誰かが評価している”お墨付き”に縋(すが)りたくなるからです。この”自分はチンケな感性しか持っていないので、誰かの意見を有り難く訊かねばならない”という音楽に向き合う以前の姿勢と態度こそ、連中が呼び覚ました若しくは齎(もた)らした最大の罪です。こんなものは謙虚でも侘び寂びでも何でもない。自己愛に溺れた弱者の姿勢であり、逃げであり、音楽に対する向き合い方を意図的に歪めるものです。

このような観点を踏まえると、日本における”名盤”とは、海外における定義に加えて”教祖様が御評価なさった有り難い盤”という意味合いがあります。一言二言では英訳のしようがありません。”Meiban”という固有名詞のスラングにすべきだと思います。節約志向のある現代人にとってこの”名盤”こそ、最も効率的で効果的にクラシックを嗜む術であるに違いないと思い込んでいます。それは非常に残念でなりませんが、インスタントな趣味が他にも腐るほどある現代日本においては、酔狂なクラシックファンを除いて、クラシックもインスタントな趣味の1つになってしまっているのも事実であると認めなければなりません。

不思議なことに、プロ・アマチュア問わず、海外の音楽評論家が”名盤”と銘打ち、個々のアルバムをわざわざ高尚な表現と屁理屈で述べることは少ないのです。単に私の英語力が低いだけなのかもしれませんが、それらは何かを神格化することもなく、冷静で多様的な観点から述べられているものが多いように思います。新譜や最新の公演の評論ではグチグチ言うことはあるけれど、過去に埋もれた録音を掘り出してまでやることはほぼ無いと言って良いでしょう。

例えばティーレマンのような若手を、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュと比較して馬鹿にする評論が世界中の何処にありますか?日本以外に有り得ないでしょう。これを「海外の評論家やファンは何も分かっていない」と論するJapの有様には呆れる他ありません。そんなことをする必要がないからしていないだけなのです。

海外のクラシックファンは、”自分が自分の名盤を決める”ことを自然と分かっているのです。何処何処の誰々の何々センセイが評価したなんて事は全く言及しません。曲についての知識は少しはいるでしょうが蘊蓄を語れるほどはいりません。他人の評価や知識よりも自分がどう感じたかを第一にしているように思います。海外のブログに”名盤”紹介が少ないのは当然な事だと思いませんか。自分で決めるものを他人に決められたくもないし、他人の趣向なんてどうでもよく興味が無いからです。

日本の個人ホームページやブログ、ショッピングサイトのレビュー欄における”名盤”紹介には2種類のものがあります。評論家擬きのおままごとか、”favorite recordings”としての紹介の2種類です。私は後者でありたいと思っています。後者は近年の日本の腐ったクラシック音楽評論へのアンチテーゼであり、クラシックファンとしての情熱であります。”名盤”という言葉だけが一人歩きして、多種多様な録音と音楽を嗜む趣が無下にされるほど憤りを感じることはありません。

世界はとうの昔に気が付いています。クラシック音楽の嗜み方について。こんなブログが必要でなくなる世の中になれば良いと思いますが、現実はそうではないようです。日本の芸術雑誌もレコードショップも、宣伝文句や売り方は前時代的で”名盤”を煽るものばかりで嫌になります。

あなたはまだその”名盤”を抱きかかえたままでいるのですか?

PS: 日本人の価値観に近い国民を見つけました。何とドイツ人なのです。ちょっとだけできるドイツ語でGoogle検索をかけると、クラシックの録音を紹介する個人ホームページがポンポン出てきます。ベートーヴェン、ブラームス 、ブルックナー、マーラーに至るまで選り取り見取りです。これには驚きました。流石は本家本元だけあります。メディアや音楽評論家がお堅い国同士、クラシックファンには似通うところがあるんですかね。ほんの少し嬉しくなりました。

上乃木 燕二
クラシック音楽のブログを運営しています。後期ロマン派〜新ウィーン楽派がメイン。交響曲ネタが多目。オペラ・室内楽を扱うべく奮闘中。元トロンボーン奏者。チェロやりたい。マーラーとテンシュテットが心の師匠。