日本人のためのクラシック音楽鑑賞(再)入門

今回はかなり長めの記事です。酒を飲んだら筆ならぬタイピングが走りました。何でもかんでも言いたい放題です。各項の見出しを取り出して、最初に載せておきます。

★序論と問題提起

■はじめに
■クラシック音楽との出会い
■”名演”や”名盤”はあなたのための物ではない
■”自分だけ”の感性という自覚

★本論と展開

■クラシック音楽鑑賞の文化
■クラシック音楽鑑賞文化の問題点
■クラシック音楽鑑賞文化の問題点の表面化(※ネット上のみ)

★結論と提言

■現代的クラシック音楽鑑賞の初め方
■近代的クラシック音楽鑑賞のあるべき論
■クラシック音楽に対する姿勢と態度のあるべき論
■アマチュア愛好家同士の関係性
■クラシック音楽レコードの売り方


★序論と問題提起

■はじめに

初めにお断りしておきたいことが3つあります。

1つ目は、他人の趣味や趣向に文句を付けるのが目的では無いということです。人には自由があります。他人の自由を害しない自由は尊重すべきものであり、それを罵ることは無粋であると思います。

2つ目は、作曲家と楽曲の解説や”名盤”紹介をするつもりは無いということです。誰の曲を誰の演奏や録音で何の媒体でどのように愉しむべきであるかについて、詳らかに言及したいとは思っていません。

3つ目は、この記事の読者は全ての日本人クラシックファンを想定しているということです。ここで私が述べたいことの大筋は、日本人のクラシック音楽に向かい合う”姿勢”にあります。それはアマチュア・プロ問わず、入門者・熟練者問わず普遍的なものだと思うからです。

以上の事を念頭に入れた上でご一読頂けると幸いです。

■クラシック音楽との出会い

人間誰しもきっかけがあります。どうしてクラシック音楽を聴くようになったのか。親からの影響、恋人からの影響、先生からの影響(私はこれです)、知人からの影響、学校の教育、楽器の経験、ネットや雑誌のメディアで見聞きした、たまたま耳に入った。何でも結構です。重要なのは今現在、“あなた自身が”聴きたいと思っているかどうかです。聴きたいと思わないのであれば聴かなくて結構です。聴きたく無い人に聴かせようとするのはお門違いです。それこそ本来あるべき人間の自由というものです。

“クラシック音楽を聴きたい”と思ったからには、次は具体的な行動に移すはずです。ネットで探す、CDを買いに行く、コンサートに足を運ぶ、何でも結構です。これからの話の中で私が焦点を当てて行きたいのは、“どうやってそれを選ぶのか?”ということです。

■”名演”や”名盤”はあなたのための物ではない

これからクラシックを聴きたい、造詣を深めたいと思っている人は、既存のクラシックファンに惑わされないようにしなければなりません。彼らの言う”名演”や”名盤”は、彼らにとって都合の良いものでしかないのです。他人の他人による他人のための物です。あなた以外の第三者の感性に基づく確信であり期待であり願望でしかありません。このブログだって同じことです。あの手この手を使って如何に”名音楽”であるのかを主張しますが、あなたの感性に響くことは何も保証しません。それにも増して、あなたの感性が他人の感性で上書きされる可能性すらあるのです。私はそれを一番危惧しています。

レコード鑑賞の世界では、色んなWebサイトの訪問者を見ている限り、あまりにも”名盤”に固執する傾向があるように思います。ある程度の視聴経験があり、自分自身の感性を確立しておいて尚も”名盤”を探すのであれば良いのですが、全くのド素人が最初から”名盤”を探すことは愚かに過ぎると思うのです。この事については別の記事でも考察しています。

■”自分だけ”の感性という自覚

人間には個性があるように、感性にも個性があります。あなたの感性はあなたのもの以上でもそれ以下でもありません。他人と被る面があっても似て非なるものです。何を好み何を嫌うのか、決めるのはあなた自身以外に有り得ません。

私がこの記事で言いたいことの本質は、

  • 自分の感性をもっと尊重するべきである
  • 他人の感性をもっと尊重するべきである
  • 自分や他人の感性を絶対視(崇拝も無下にも)するべきではない

と言うことです。なぜこのような当たり前の事を殊更に強調しなければならないのか。それはクラシック音楽鑑賞に独特の文化に根ざした、感性の多様性が危ぶまれる要因があるからです。


★本論と展開

■クラシック音楽鑑賞の文化

– 1. “同曲異演奏”という文化

クラシック音楽が他のポピュラー音楽(邦楽や洋楽)と明らかに違うのは、同曲異演奏がたくさんあることです。例えばベートヴェンの交響曲第5番(運命)をとってみても、レコード(AD,CD問わず)の数だけで100を超え、コンサートとレコードリリースは今も尚続けられています。それら全てを聴くのは中々できることではありません。

従って、“可処分所得と時間を考慮し、如何に効率的に自分に合った名盤を探すことができるのか?”というのが、近現代のクラシックファンにとっての宿命となるのは極自然な事です。

– 2. “批評”という文化

この近現代的な宿命に対して、ある種の挑戦や解答として世に存在するのが音楽批評です。過去に存在した演奏やレコードを、その手の専門家が音楽的に、客観的に、ある時は個人的に評価するものです。

現代におけるクラシック音楽批評の意義の1つに、“同曲異演奏の差別化”というのがあります。”何時何時の誰々の演奏は、何時何時の誰々の演奏と比べてこのように違うのだ。故に誰々の演奏を聴くべきである”という論調です。それが真実にせよ虚構にせよ、信じるにせよ疑うにせよ、多くのクラシックファンを更なる鑑賞の道へと駆り立てたことに違いありません。

– 3. “聴き比べ”という文化

以上のような文化的背景がある中、クラシックファンは数あるコンサートやレコードの中から取捨選択の末、実際に聴き比べをします。同じ楽曲でも年代の違い、指揮者の解釈の違い、オーケストラの音色の違い、音として感受できるもののあらゆる要素を比較しながら、自分にとっての”名演”や”名盤”を見つけ出そうとします。この過程を楽しんでいる人間を多くの場合クラシックファンだと言います。しかしこれこそ、今のクラシック音楽業界を閉鎖的にしている一番の要因だと思います。

■クラシック音楽鑑賞文化の問題点

– 1. “比較して当たり前”という前提

突然ですが、きゃりーぱみゅぱみゅの”つけまつける”が好きになったとします。
“つけまつける”を楽しむには、

  • ネットでPVを見る
  • 数枚のCDやDVDを買って見聴きする
  • 年に何回かのライブに行く

ぐらいしか選択肢がありません。”ライブの演奏の方がCDの演奏よりも如何に優れているのか”、なんて説き始めるリスナーはまずいないでしょう。

一方で、ベートヴェンの交響曲第9番(“第九”)も好きになったとします。
“第九”を楽しむには、

  • ネットでパブリックドメインの演奏を聴く
  • ネットでアップロードされている音源を探す
  • 数十枚以上のCDやDVDから取捨選択する
  • 年に数回、あるいは12月にたくさん上演されるコンサートに行く

という選択肢があります。クラシック音楽には、良くも悪くも選択肢が有り過ぎます。

上述した文化の中では、クラシック音楽は”聴き比べして当たり前”という常識がまかり通っています。”つけまつける”は5分で済むのに、”第九”は1時間もかかります。従ってこれはクラシック音楽は最低2時間以上も消費しないと楽しむことができないと言っているようなものです。聴き比べること自体は悪くないと思います。しかしクラシック音楽の門外漢にとっては、この時間の長さが一番のネックになります。ただでさえ長いクラシック音楽は聴き比べないと楽しめない、なんて言ってしまったら本当に好きな人間しか聴かなくなってしまいます。それで良いのだ、と開き直りたくもなりますが、ここで指摘したいのは聴き比べして当たり前という前提です。

きゃりーの”つけまつける”を聴いて、他のアーティストによる”つけまつける”を聴きたくなるリスナーはかなりのマイノリティでマニアックな層だと思います。冗談では幾らでも言えるにせよ、例えば家入レオの”つけまつける”を本気で聴いてみたい、なんて思っているリスナーは存在しないでしょう。

ところがクラシック音楽では事情が違います。多くのクラシックファンはきゃりーが歌う”つけまつける”、和田アキ子が歌う”つけまつける”、美空ひばりが歌う”つけまつける”、Lady Gagaが歌う”つけまつける”、Taylor Swiftが歌う”つけまつける”、Avril Lavigneが歌う”つけまつける”のようなものを有難く聴く比べます。これらの内でどれが”名盤”であるのかを主張したり、時には議論したりします。

現代のポップスファンからすれば、クラシックファンの趣向は往々にして意味不明で退屈だと思われています。私は水樹奈々が歌う”つけまつける”のような一風変わった同曲異演奏を一心に愛するクラシックファンも充分に立派だと思います。なんでもかんでも”名盤”を追い求めて聴き比べすれば良い、という訳では決してありません。

– 2. “名盤”の神格化

聴き比べを極めたクラシックファンが辿り着く終着点の1つは、自身の見つけた”名盤”を絶対的に揺るぎのないものとして自認することです。プロの評論家でもこういった人間がいます。真似するアマチュアが出て来る訳です。彼らはいわば“クラシック音楽鑑賞の限界”に達してしまった人達です。彼らは彼らなりの屁理屈をもってして、その”名盤”が再リリースされたりリマスタリングされたりする度に褒め讃え、それ以外の演奏を比較しては貶し、比較しては貶しを繰り返すばかりになります。

それらは批評とは名ばかりのマスターベーションでしかありません。他には自分の屁理屈に同調する信者を増やすことに熱心になります。SNS、ブログ、掲示板、ショッピングサイトのレビュー欄、あらゆる手段を使います。自身と自身の努力を認めて欲しいばかりに。この事は別の記事でも触れています。

こうなるともう哀れでしかありません。この玄人達は今後も熱心にコンサートに通いレコードを買い続けるかもしれませんが、新しくクラシック音楽の世界に入ってきた人間をゲンナリさせます。玄人達に比べて自分の耳がおかしいのではないか、自分の感性がおかしいのではないか、と疑ってしまう人が出てきます。理解できないと諦めてしまえば、コンサートに行くこともレコード集めをすることも辞めてしまいます。こうしてクラシック音楽界隈は益々閉鎖的になっていきます。

– 3. 愛好年数と聴いた枚数で優劣をつけたがる玄人連中

どんなカルチャー(文化)のコミュニティ(集まり)においても、威張り散らす困った古参がいます。クラシックファンだけではありません。例えば、最近はプロ野球観戦が盛り上がっていると思います。私は遠くの球場まで足を運んでよく観に行く方だと思いますが、たまにビックリするような古参のファンに出くわすことがあります。広島から横浜までやって来た、ズーズーで大声の広島弁で試合や選手批評をリアル実況するオッサン連中、大阪のホームでひたすらヤジを飛ばし続けるオッサン、東京ドームの立ち見席を占拠する湘南系のオッサン連中、等々。

クラシック音楽鑑賞でも同じような輩がいます。コンサート会場で遭遇すると最悪なのが、終了後のホール付近で大批評会をやるオッサン連中。近くの飲み屋か帰ってからやってくれ、と。ネット上のコミュニティで良く見かけたのが、鑑賞歴でもって個人の感性を判断し優劣を付けたがる自称玄人達です。何年聴いているか、何回コンサートに行ったか、何枚レコードを持っているか。多ければ多いほど御立派な感性をお持ちになれるそうです。自分より経験の無い人間はお粗末な感性しか持ってないと見做(みな)されることもあります。意味が全く分かりません。

これは野球のオッサン達より酷いと思います。最近の野球観戦のマナーも(ハマスタの広島戦は特に)酷いですが、サンデー観戦者を馬鹿にすることはまずありません。ネット上のなんJ民でさえ観戦初心者を馬鹿にすることはありません。ファン歴の長さだけで威張り散らす人間はいません。今の時代にもなってニワカを締め出すのはクラシック音楽界隈ぐらいです。ニワカを締め出すカルチャーやコミュニティは必ず衰退します。かつてのニュー速VIPのように。

■クラシック音楽鑑賞文化の問題点の表面化(※ネット上のみ)

– 1. HMVやAmazonレビュー欄

最近は常識的で健全なレビューが目立つようにサイトの構造が巧妙化しましたが、過去に遡ると薀蓄を語りたいだけの自分語り、批評がしたいプロ気取りのアマチュアの戯言、”名盤”に縋り付いて神格化する狂信者達がたくさん出てきます。彼らはもう手遅れです。今でも平然と投稿している人さえいます。

中でも、上から見下した大変有難い御教示にも関わらず一人称が”小生”なことには、思わず皮肉的な笑いがこみ上げてきます。全然へりくだってないやん!それが”小生”の言うことかいな!?”小生”と言いたいだけなんと違うか??、と。一人称だけをそれっぽく変えても、無駄に歳ばかり食って一向に磨いてこなかった醜い品格や品性は隠せません。

– 2. ヤフー知恵袋

試しにヤフー知恵袋で”ベートヴェン おすすめ”、”ブルックナー おすすめ”、”マーラー おすすめ”で検索して幾つか中を覗いてみて下さい。あなたはどんなことを思うでしょうか。

1つ目は、質問者の意図を汲めていない回答があまりにも多いことです。例えば、“ブルックナーの8番のおすすめを1つ教えてください”という質問があったとします。中には端的に答えていたり、Amazonの商品ページのリンクを貼ったりしている等の丁寧でズヴァリな回答ももちろんあります。

しかし大多数の回答は、以下のような感じです。

私の一番のお薦めは○○です。〜〜だから。いやでも●●も捨てがたい。〜〜だから。いやいや、ここまで語ったら▲▲もお薦めしなければなりません。

↑結局どれだよ、と言いたくなる。

私が最初に聴いたのは○○です。あの当時は〜〜(大幅に省略)〜〜。○○も良いけど●●が一番良いと思います。

↑最初から●●だけ言ってくれよ、と言いたくなる。

たった1枚でこの曲を理解するのは有り得ない。まずは××と◎◎と△△と〜〜〜〜

↑誰も理解したいなんて言ってないよ、と言いたくなる。クラシックって頭がおかしい連中しか聴かないのか?と思われても可笑しくありません

2つ目は、見るからに素人の人間に”それを薦めるのか!?”と思わず言いたくなる回答があることです。例えば、“最近ブルックナーの8番をネットで聴き齧りました。CDは1枚も持っていないのですが、お薦めを紹介して頂けませんか?好きな指揮者はカラヤンです。”という質問があったとします。

このような質問に対し、以下のような回答があります。

カラヤンよりフルトヴェングラーを聴いてみては如何でしょうか?

私のお薦めはクナッパーツブッシュですが、シューリヒトも捨てがたい。どちらかで良いと思いますよ。

↑私にはとても、初心者に薦めるような盤では決してないと思います。回答者が好きなものを挙げているだけだろう、と。

これも結局は1つ目の例と同じなのですが、相手の意図や文脈を全く汲めていないのです。この質問者は前提としてモノラル盤に慣れていないはずです。カラヤン盤でネットで簡単に見つかる録音と言えば、60〜80年代のステレオ盤です。それしか聴き齧っていない人間に対して、今時モノラル盤ですって!?嘘でしょ!?と叫びたくなります。

せめて5枚目ぐらいなら分かります。私ならベーム/VPOかティーレマン/SKDあたりを薦めると思います。少なくとも私が質問者なら、薦められた盤を聴いたら一発で後悔すると思います。こんなものを薦めて欲しくなかった、と。全然好きになれない!、と反論したら今度はオーディオのせいにされそうです。パソコンやiPhoneでクラシックを聴くとは何事だ!!けしからん!!!、と。おぉ、怖い怖い。

– 3. クラシック板

某掲示板のクラシック板を覗いてみて下さい。閑古鳥が鳴いており内容も内容なので、二度と見たくなくなると思います。


★結論と提言

■現代的クラシック音楽鑑賞の初め方

– 提言1. ネットを正しく使え!指揮者もオケも何でも良いから手当たり次第に聴け!!

色々と危険なのでハッキリとは言えませんが、これを見ているあなたのデバイスを使えば幾らでも見つかるはずです。何とかTubeとかニ○ニ○動画とか、幾らでもあるじゃないですか。完全にホワイトで楽団から公式にアップロードされているものもあります。楽曲のWikipediaにリンクが貼ってある場合もあります。それで満足できればとりあえずOKです。ダメだったらまた違うものを聴けば良いのです。これであなたもクラシック音楽の世界に入った立派な一員になったのです。何もいきなりコンサートに足繁く通ったり、CDを何十枚も買う必要はありません。それに拘るのは自分達に利益がある、年老いた老害か音楽関係者だけです。構う必要は全くありません。

本当に好きになってきたら、段々とそれでは満足できなくなってくるはずです。そうしたらiTunes MusicでもNMLでもDigital Concert HallのチケットでもCDでも買えばいいのです。オーディオ機器を揃えれば良いのです。コンサートに行けばいいのです。デジタル化が進んだ現代のクラシック音楽への入り方は、これで良いのだと思います。

今時いきなりCDやコンサートを薦める玄人は時代遅れであると言わざるを得ません。いずれ近い将来、クラシック音楽のメジャーなリリース方式がネットワーク回線を経由する課金性ストリーム配信や楽曲ダウンロードに取って代わることは間違いありません。手段と敷居の高さに難儀を示し、クラシック音楽を聴く人間が増えないことが今一番の問題なのです。

■近代的クラシック音楽鑑賞のあるべき論

– 提言2. “名盤”を見つける努力は自分でせい!他人に甘えるな!!

音楽を聴くことは、”名盤”なんてものを人に訊く前に、調べる前にできることじゃないですか。あなたの頭と目と耳は何のために付いているのですか?他所様の意見を訊かないと満足に音楽も聴けないお馬鹿さんなのですか?そうじゃないでしょう。“名盤”を他人任せにするというのは、あなたの感性を自ら放棄することであり、人としての個性を捨てている事と同じです。そんな馬鹿な真似は辞めた方がいいです。

いくら他人の意見や世評と違っても、あなたにしか見つけられない”あなただけの名盤”が存在するはずです。”名盤”を自分自身で見つけることの方が、時間はかかりますが、ずっと面白いことになるはずです。こんなブログもアルバムのジャケット絵だけ記憶に残して、些末な文句や文章は葬り去って欲しいぐらいです。1枚でも多くの盤が1人でも多くの人に聴かれるようになって欲しい、このブログはその期待だけに存在意義があります。

尚、断言しておきたいことがあります。クラシック音楽鑑賞に近道はないということです。私はカラヤンの50枚以上の大容量BOXだけを買って、カラヤンしか聴かないクラシックファンよりも、ネット中を探し回って50種類以上の録音を聴いたクラシックファンの方が魅力的だと思いますし、よく分かっているリスナーだと思います。音楽の良いところは多様性にあります。色んな指揮者の色んなオーケストラの音楽が世の中にはあります。世で風潮されている”名盤”だけを聴けばクラシック音楽が分かる訳では決してありません。それは1楽曲の1演奏を聴いただけに過ぎません。現代人らしい身勝手で強欲な我儘であると自覚するべきです。音楽と一対一で向き合い、感性の切磋琢磨を通して初めて”名盤”ができあがるのです。あなたにとってかけがえのない確かな”名盤”へと。これがレコードが普及した近代的なクラシック音楽の楽しみ方です。

■クラシック音楽に対する姿勢と態度のあるべき論

批判するだけしておいて、何の代替案も提示しないのは不公平だと思います。なので、私が考えて実践している、クラシック音楽に対する姿勢や態度の在り方を記述しておきます。

– 1. 聴く。とにかく聴く。ひたすた聴きまくる。

聴きたいと思った音楽に聴覚を集中させます。他の全く関係無い事をしながら、というのはなるべく避けたいです。難しいのであれば仕方ありません。しかしあなたはコンサートの上演中に、音楽を聴く以外の何をするのですか?通学・通勤の電車やバスの中でも構いません。とにかく聴くのみです。余計な事は忘れます。聴こえてくる音楽に身を委ねるしかありません。自分の好みと違うのであれば他のコンサートや録音を探します。まずはこの繰り返しです。ひたすらに聴きまくります。

– 2. 総譜(フルスコア)を参照しながら聴く。

耳で楽しんだら次は目も使います。IMSLPの規約を守って総譜(フルスコア)をダウンロードします。版は最初は拘らなくて良いです。ただしブルックナーやマーラーといった要注意作曲家はいます。ポケットスコアを買うのも手です。そうしたら今度は総譜を目で追いかけながら音楽を聴きます。総譜の読み方は勉強して下さい。簡単です。スコア・リーディングの本も出ています。音楽が大編成であればあるほど、目で追うのが大変で、何度も聴き直す必要があります。

総譜は読んで苦労した分だけ色々な発見があります。作曲者の特記事項(ベルリオーズとマーラーは特にヤバい。細かすぎるし拘りが強すぎる)、テンポ指定と変化、パート毎の旋律(ヴァイオリンや金管の影でヴィオラや木管が凄い事をやってたりします)、和声や調性の変化(楽典やコード理論を勉強していると気付くことが更に増える)、音型の指定(シューベルトは嫌らしい)、強弱記号(チャイコフスキーの悲愴はやっぱり異常)、それらが視覚的にも伝わってきます。

もっと前のロマン派の作品でも、指揮者毎の解釈が如何に逸脱or遵守しているか良く分かるようになります。フルトヴェングラーのベートヴェンやブラームスを総譜を見ながら聴くとヤバいです。この指揮者は頭がおかしいとしか言えなくなると思います。もちろんテンシュテットやバーンスタインのマーラーでも同じです。マーラーの音楽は頭のネジが10本は抜けていないと書けないと思わせるし、こんな音楽をやっちまう指揮者も奏者も頭がおかしいと思わせます。だからクラシック音楽は面白いのです。

– 3. 楽曲や作曲家の知識を取得してから聴く。

楽曲や作曲家のWikipediaを読みます。解説本や新書を買うのも手です。ただし素人には意味不明なものも中にはあります。ほどほどで十分です。標題性や物語性の強い楽曲だとしたら効果抜群です。それから聴くと尚更分かったような気になります。頭で理解できなかった曲が理解できるようになるかもしれません。Wikiや本を読んでから聴きたくなる音楽もあります。現代音楽なんかは特にそうです。結局意味不明で終わることが私は多いですが。私がそうして聴くようになった曲の1つがシェーンベルクの”浄められた夜”です。

– 4. 聴き比べをする。悩む。決める。

今度は色んなコンサートやレコードに足や手を出し始めます。レコードの方だと異なる楽曲で指揮者を揃えて聴く、例えばカラヤンとジュリーニを第九やブラームス1番で聴くと、指揮者の特徴がつかめ始めます。カラヤンはカラヤンだし、ジュリーニはジュリーニだと何となく分かります。オーケストラを替えても面白いです。ウィーンフィルとシカゴ響では全く違う音色がすることに気付きます。これを繰り返す内に好き嫌いがハッキリしてきます。その内聴くものを選り好みしたり、悩み始めます。指揮者路線でいくか、オーケストラ路線でいくか、それとも思いきって聴いたことがない曲・指揮者・オーケストラに冒険してみるか。これを決めるのは結局自分です。自分でしか決められません。聴くのは自分なのですから。クラシック音楽鑑賞は実に孤独な趣味です。分かりあえる人は中々いません。

– 5. 最初に戻る。この繰り返し。

■アマチュア愛好家同士の関係性

– 提言3. 玄人連中は初心者への接し方を少しは考えろ!さもなくば黙れ!!

黄昏のクラシック音楽界隈で、内ゲバやニワカいびりなんてしている場合ではありません。玄人を自負する諸氏には、自分がクラシック音楽を聴き始めた頃のことを良く思い出して頂きたいです。何も知らなかったはずです。いい加減驕り高ぶるのは辞めにしませんか。今の初心者達の話を良く聴き、相手が求めていることを素直に教えてあげるのが、大人で紳士な対応ではありませんか。

また、単なる自分語りや薀蓄が掲示板やレビュー欄に載っていても邪魔なだけです。みんな優しいし面倒だから言いませんけど、何の役にも立っていないと思います。そんなにやりたいならブログを立ち上げることです(※)。一方で、質問をなげやりにする質問者も方も如何なものかと思います。そもそも質問することすらアホらしいと思います。結局、そんな私の結論と実際に取る行動は無視です。見てみないふりをします。本当にクラシック音楽が好きで聴きたいと思っているのなら、自分で考えて自分で探して勝手に聴き始めると思うからです。実際に私がそうであったからです。

(※)何とまぁ、ブログにクラシック音楽の感想を書いてHMVやAmazonレビュー欄にも同じ内容を投稿するマルチポストユーザがいるのです。自己顕示欲の塊です。恐るべしです。流石の私でもドン引きです。そんなに注目されたいんでしょうか。

“スゴいお詳しいですね!毎度興味深く読ませて頂いております^^ 本当に仰る通りだと思います!!私も同じ盤を買って聴いてみますね^^”

とでもコメントし続けたら治まるのでしょうか?ブログは別に良いんですけどレビュー欄は本当に邪魔です。是非とも批評家などではなく指揮者にでもなって頂きたい方々です。内容を見ている限り、私は聴きに行きたくありませんが…

■クラシック音楽レコードの売り方

– 提言4. レコードショップは売り方を考えろ!いつまでカラヤン時代を引きずるつもりだ!!

ここからはオマケです。最後の雑談だと思って下さい。これまた長くなりますけど…都心部でのクラシック音楽レコードショップには2種類あります。新品屋さんと中古屋さんです。

中古屋さんについては特に言うことがありません。単純に整理陳列がキチンとされており、何かを贔屓して目立たせることが無く、どのジャンルや作曲家も物量に応じて均等に扱っており、新入荷コーナーがあり、特価コーナーまであると完璧。新宿の某店は最高です。御茶ノ水の某店は通路が狭いことだけが難点。ああいう実用的で客観的で無骨な店舗運営がたまりません。キッチリ詰まったCDラックを眺めるだけでも宝探しのような気分になります。ついつい長居をしたくなります。マニアには分かるはずです。我々鑑賞者はそういう状況でこそ音楽盤を取捨選択するべきだと考えさせられます。売り手の主観や意図が値段にしか感じないからです。クラシックファンに対して最も潔い売り手だと思います。どれを買ったら良いか分からないようなオコチャマに用は無いよ、という現代のアキンドらしからぬロックな姿勢を感じるので尚更好きになります。

一方で、何とも中途半端だと思うのが新品屋さんです。新品屋には新品屋にしかできないことがあるはずなのに、今一パッとしていないと思います。

HさんはWebサイトが大変素晴らしい のにも関わらず実店舗はTさん以下だと思います。 中古屋さんとほぼ変わらないので、Hさんの実店舗で買うメリットが新譜の一時的な品揃えしかありません。私が住んでいる地域が悪いのか、それとも選択と集中を始めているんでしょうかね。どう見てもWeb通販の一本化に舵を切っているように思います。どちらにせよ賢いと思います。今時でこの先も生き残りそうな会社さんだと思います。

Tさんの実店舗は良くも悪くも中途半端だと思います。基本的にはキチンと整理陳列されているので便利ではあります。付け加えるなら、新譜の扱い方は良いと思います。各陳列棚の側面にある小スペースに効率的に配置されていると思います。お客さんが真っ先に目にする確率が最も高いのがそこだからです。実に理にかなっています。しかし、それ以外の新品盤の扱いは、どうにもよく分からないのです。

第一に、店舗毎に何を売りたいのかがバラバラなような気がします。TさんのShin****店は超頑張っていると思います。ですが努力の方向音痴だと思います。メッセージカードの内容の質が書き手によってバラバラなのが一目瞭然で、誰を狙って書いているのかもバラバラなような気がします。読んでいて面白いですが続けて読むと非常に不気味です。カオスです。大抵途中で読まなくなるでしょう。1枚だけ読んで2枚目の途中で飽きるか意味不明となり読まれない確率が高いと思います。損をしていると思います。もっと整理すべきだと思います。最上段の左から何番目までは初心者向け(メッセージカードの色や字体も変える)、それ以降は中級者・上級者向け(これまたコッソリと微妙にメッセージカードの色や字体を変える)。そうすればまだ分かりやすくなります。もう別の事をしているのかもしれませんが、私は気付いておりません。これならShib***店の方がまだ分かります。メジャー盤や売りたい盤は基本的に前面表示にしているだけだからです。初心者にとってはこっちの方が分かり易いですし、私のような人間はチラ見しただけで真っ先にジャケット絵に目が行くので、注視するのか側面盤に目を移すのかが一瞬で判断できるからです。

第二に、通常の陳列棚(A〜Z棚)と新譜陳列棚(側面棚)以外の棚の使い方が良くわからないからです。大抵は売上げランキングコーナー、高音質盤コーナー、話題盤(来日したり活躍したり急逝した指揮者の盤)コーナー、往年の名盤(DG BESTシリーズの特価盤、3枚でXXXX円みたいなやつ)のコーナーだったりします。基本的な秩序が無いように思います。とりわけ売上げランキングコーナーが謎です。クラシックファンが盤の短期的な売上を気にするように思えません。いらないと思います。陳列するにしても年に一度、数週間だけでいいと思います。期間を限定して予め告知しておく。その方が話題性を呼びます。流石に年間の売上ぐらいは興味の対象になります。百歩譲っても半年に一度です。また、店舗によってはレコード芸術の特選盤コーナーがあったような気がします。今時Web版すら存在しない、時代遅れのあんな雑誌を信じている人間が居るんでしょうか?私は疑問に思います。売れているからそのコーナーがあるのでしょうけど。また、これらの棚はしょっちゅう入れ替わる割には更新頻度や周期がよく分かりません。日にちをおいてから行っても前と変わらなかったり、いきなり急にガラリと変わったりします。たまたま私の周期と噛み合わなかっただけかもしれませんけど。これは確かに面白い試みではありますが、定期的に通いたいとは思えません。こうなったら年単位でも良くなってしまいます。定期的に通うような魅力が無いからです。私にとっては一番どうでも良い棚です。

第三に、私が一番文句を付けたいのが、通常の陳列棚(A〜Z棚)の最上段の扱い方です。これが如何にも前時代的なのです。店舗ごとに売り込みたい盤が勢揃いしている段であるということは良くわかります。私もたまには買い物カゴに入れます。しかしそれは稀な事です。9割方は鬱陶しいと感じています。お前ら店員にわざわざ薦められる言われも無いがな、と思ってしまいます。かえって買いたくなくなる時もあります。私がクラシックレコードを聴き始めて間もない頃も、この最上段から買ったことはほとんどありません。全く信用しなかったからです。他人の”一押し”や”名盤”なんて文句は一番信用できない。自分の好みは自分で決めると最初から決めていたからです。

ここで重要なのは、”最上段が店側が最も売り込みたい盤”であることです。今現在において、それは決してオーソドックスな盤でもベストセラー盤でも無いことも多く、売れ残りや少しマイナーな最新盤であることも多いように思います。特価盤が並ぶことさえあります。極めて売り手都合に過ぎる商売だと思います。メッセージカードが添えてあればある種の詐欺のようにも感じさせます。実際には詐欺では決してありませんし、ものは言いようだということを巧みに利用した商売だとは思いますが、頭が弱く経験値の足りない初心者リスナーを餌食にしている姑息な商売だと思います。カラヤン時代と何も変わりません。あの時代は店側が売りたい盤と大多数のリスナーが求めていた盤が等しかったから良かったものの、現在はそういう状況ではありません。誰もが望むような大衆受けする盤が中々出てこないのです。何を買っていいいか分からないリスナーを意図的に売り手の都合に合わせるように仕向けるのは、音楽の供給者としての資質を疑わざるを得ません。本当に1店員の1個人的な一押しなのか?多くの盤について私は疑問に感じます。直接腹を割って話したこともないので、もちろん確証はないのですが、もっと大きなバックボーンから要請されている極めて計画的な陳列だと思わせる盤選びだと個人的に思います。

Tさんだけに限りませんが、そろそろ”一押し”や”名盤”と言った売り方は辞めにしたらどうですか。お客さん一人一人の意思で選択させるような工夫、パッと思いつくのは最上段もリスニングコーナーにする(無線ヘッドホンを使えば邪魔にならない)、思い切って前面表示とメッセージカードを辞める、店員の負担は増えるが呼び出しボタンを付ける等、色々施行案はあると思います。コンペティターの品揃えや陳列状態から差別化要因を見出すこともできるはずです。今後もカラヤン時代的な売り方を続けていると、徐々に顧客を失うことになると思います。時代は既にカラヤンのような絶対的カリスマ指揮者を聴衆は求めてはいませんし、これ以上現れないと理解しています。あの時代が異常だったのだ、と。実店舗が潰れたら正直ちょっと困るけど、そこまで致命的なほど困りません。代替手段はいくらでもあります。実店舗には実店舗でしかできないことをよくよく考えて欲しいと思います。

上乃木 燕二
クラシック音楽のブログを運営しています。後期ロマン派〜新ウィーン楽派がメイン。交響曲ネタが多目。オペラ・室内楽を扱うべく奮闘中。元トロンボーン奏者。チェロやりたい。マーラーとテンシュテットが心の師匠。