ニールセンの交響曲第4番”不滅”の個人的名盤

デンマーク随一の作曲家ニールセンの交響曲第4番”不滅”は、難解な近代交響曲でありながら聴きやすい曲だと思います。ティンパニ協奏曲のような第4部(4楽章じゃないんですよね)は聴き応えが物凄いです。ストラヴィンスキーのようでもあります。変拍子の多用と頻繁に変わる調性をスコアで見るととても演奏する気にはなれません。その拍子と調性の発展性はまるでマーラーの後を継ぐような交響曲作家でありながら、北欧の作曲家らしいエスニックな雰囲気を感じさせます。

はじめにお断りしておきたいのは、私が好きな”不滅”はブロムシュテット/サン・フランシスコ響とカラヤン/BPOのものだけです。それらを聴くまでに聴いていたクチャル/ヤナーチェクフィルが最後に加わる1枚で、後は正直あまり好きになれないものばかりです。

好きじゃない録音を紹介するのも如何なものかとは思いますが、これは私が私自身の感性と戦うためです。いつか理解できる日が来ることを信じて、今ありのままに思うことを書きなぐっておきたいと思います。


■ブロムシュテット/サン・フランシスコ響

ブロムシュテット、サン・フランシスコ響、Decca(旧London)の録音精度という3者全ての良さが凝縮された音楽が、このニールセン全集だと思います。北欧と関係性の薄いサン・フランシスコ響の演奏はやはりエスニック的な要素が薄く、私のような北欧音楽に疎い人間にも嫌味なく分かりやすく伝えてくれるのです。

とりわけチューバまで良く聴こえる録音精度の良さが、この曲を理解するために十二分な助けになっています。スコアに音符が並んでいる時点で既にエスニック要素が強い曲だと、どうしても高弦に意識が向かいがちなところを、曲全体へと正しく向かわせてくれる極めて良心的な”不滅”がこの1枚だと思います。


■ブロムシュテット/デンマーク放送響

本家デンマークのニールセンとなれば有難がらねばならないのでしょうが、正直私は好きではありません。ブロムシュテットの解釈はサン・フランシスコ響の時とそこまで違いが無いように感じる一方、デンマーク放送響の演奏のフレージングに一々クドさを感じるのです。

他の録音を聴いてみればこれこそ本来のニールセンらしい”不滅”だと思いますが、やっぱり好きになれません。EMIの録音も旧Londonに比べてたら不鮮明である上、総合的な演奏技術もサン・フランシスコ響の方が上に感じてしまいます。聴き所が分かりやすい”不滅”にはここまでのクドさは必要ないと感じてしまいます。自国の作曲家の演奏に張り切る気持ちは嫌でも伝わってきます。それを聴衆が好むか好まないかは別の問題だと思います。


■カラヤン/BPO

以前カラヤンについて書いた時にも挙げた1枚です。これもエスニック要素とは無縁の、カラヤンらしい流麗で豪快なニールセンです。こういうニールセンらしくない”不滅”の方がやはり好みなのです。


■クチャル/ヤナーチェクフィル

チェコのオケであるヤナーチェクフィルも、ドヴォルザークから派生したかようなエスニック的な要素をプンプンさせる演奏になるかと思いきや、何と想像以上には決して盛り上がらないのです。フレージングはやはりクドさを感じる一方で、オケの技量の問題なのか指揮者の技量の問題なのか分かりませんが、良くも悪くも常識的な範囲内で収まっているように感じるのです。これが初めて聴いたニールセンの交響曲全集だという思い出補正もあるのでしょう。これぐらい地味でも十分だと感じてしまいます。


■バーンスタイン/ニューヨークフィル

バーンスタインのアクの強さと”不滅”のアクの強さが相互作用して、爽快ではあるもののどうしても聴き疲れしてしまう1枚です。これが最初に聴く”不滅”であったなら違う印象を持っていたと思わざるを得ません。バーンスタイン最晩年の凄まじいシベリウスを聴いた後に聴いてしまうと、流石に消化不良になってしまいます。結局今は良くわからない”不滅”です。


■ドゥダメル/イェーテボリ響

若手のドゥダメルには悪い気がしますが、突っ込みどころが多すぎます。まずアルバムの曲構成がブルックナーの9番・シベリウスの2番・ニールセンの4,5番であり、あまりにも掴みどころが無さすぎるのです。ブル9を抜けばまだ分かりますが、彼にとってブルックナーもシベリウスもニールセンも同じような交響曲だ、と宣言されているような気にさせられます。如何にもナンセンスな第一印象がどうしても抜けきれません。買ったのを後悔した貴重なアルバムです。

肝心の”不滅”も元気に過ぎます。元々元気で陽気なドゥダメルの音楽では、北欧の気難しい近代音楽には向かないと思ってしまいます。ストラヴィンスキーのような原始主義的で突拍子もない音楽には良いのでしょうが、ニールセンの音楽には全く合わないと言わざるを得ません。第4部の迫力だけにはピッタリ合致しますが、第1部から全てを聴き通したいとは全く思わせません。5番もとんでもない演奏です。好きな人は好きそうです。北欧らしくも無ければ何のようでも無い、ドゥダメルらしいとしか表現できない全く新しいニールセンなのです。私には理解できません。


■N.ヤルヴィ/イェーテボリ響

流石にドゥダメル盤よりはまともに聴くことができますが、ブロムシュテット/デンマーク放送響に並ぶエスニック的な”不滅”だと思います。シベリウスでも評判が良いパパヤルヴィの演奏は、やはり正統派の北欧音楽としてニールセンを聴かせて来るように思います。ニールセンらしいニールセンの定番として君臨しても良さそうな録音です。私はやっぱり好きになれません。


■P.ヤルヴィ/フランクフルト放送響

このP.ヤルヴィの”不滅”について書きたいがために、この記事を書いたようなものです。息子ヤルヴィの”不滅”はパクチーMAX盛々のベトナムのフォーを食わされている気分にさせるのです。この感じを分かる人が、私以外にも一人ぐらいはいるのではないのでしょうか。私はパクチーが大の苦手なのです。真にエスニックなニールセンはこれだと思います。

とにかく凄いのです。第1部の出だしの装飾音符からして、パクチーを唐突に無理矢理口に突っ込まれたかのような不快感が、聴覚を通して全身を襲います。ゾッとします。鳥肌が立ちます。乾いたティンパニが炸裂する様には、生のパクチーを頬張ってしまった時の壮絶な苦味と不快感と後悔がフラッシュバックされます。これにはブロムシュテットやパパヤルヴィですらビビると思います。

これと比べてしまったら、ブロムシュテット/サン・フランシスコ響のニールセンは、関西風の出汁が効いた和風鴨そばのような薄味で素朴な味わいがあるように感じてしまいます。本来はミートスパゲティぐらいの濃厚さを感じるのでしょうが、この息子ヤルヴィのニールセンを一度聴いてしまったら最後、他のニールセンが全て関西風の出汁が効いたうどんかそばのように感じてしまうのです。凄まじいニールセンだと思います。是非一度聴いてみて下さい。私の極端な妄想であることを切に祈っています。

上乃木 燕二
クラシック音楽のブログを運営しています。後期ロマン派〜新ウィーン楽派がメイン。交響曲ネタが多目。オペラ・室内楽を扱うべく奮闘中。元トロンボーン奏者。チェロやりたい。マーラーとテンシュテットが心の師匠。