マーラーの交響曲第3番の個人的名盤

マーラーの交響曲第3番は中々に理解し辛い曲だと思います。単に曲が長いからという訳ではありません。これに比べたらブルックナーの交響曲なんて100倍は分かりやすいと思います。

どうにも私には、この曲を単純で分かり易い”田園交響曲”や”自然交響曲”のように聴こえる気がしないのです。”夏の交響曲”と言うのも良く分かりません。緯度の高い独墺における、夏の日照りの長さとこの曲の長さを関連させるのなら納得しますが、日本における四季・夏の脈絡で捉えようとするのは無理があるように思います。普通の日本人が想像する夏の要素は皆無だと思います。

独墺の夏では、蝉がけたたましく鳴くような事は無いのです。湿度は低くジメジメしていません。べらぼうに暑くなることの方が珍しいのです。日本で言えば温暖化が進む前の北海道における夏、というイメージに一番近いと思いますが、この曲を何の脈絡も無しに”夏の朝の夢”とするのは、日本の読者にいらぬ誤解やイメージを与えかねないと思います。

一方で曲の中身について見てみると、マーラー3番における1楽章とそれ以降との間にある音楽的な落差は、彼の2番と同じぐらいのものがあると思います。つまり1楽曲の中に断絶を感じざるを得ないということです。

どうしてそのように感じるのか、そもそもこの曲はどういう風に感じるのかについては、非常に長くなるので別の記事に回すとして、ここでは個人的名盤紹介のみに絞って言及したいと思います。


■テンシュテット/LPO(EMI盤)

「マーラーの3番は自然の体現なのだから、激情型の演奏は唾棄すべきで落ち着いた演奏の方が然るべきである」という俗論に私は真っ向から対立します。マーラーの3番にもマーラーという”個”が確実に存在していると思うからです。シベリウス的で薄味のマーラーなんてマーラーでは無いと思います。そんな演奏はそれほど無いと思いますが。

なのでテンシュテットのような情緒感のあるマーラー3番でも十分に許容できる、むしろ大好きな部類に入るのです。冷静になれば、唯一の欠点として、1楽章における最初のトロンボーンソロの出だしが汚ないことだけがあります。

これはどうやらセッション録音のようなので、ライブ盤となれば更に燃え盛るテンシュテットのマーラーが聴けることでしょう。私は他にMEMORIESから出ていた86年LPOとのライブ盤しか持っておらず、これがあまりにノイズが酷いため、全曲通して集中しながら聴くことが一度もできていないのです。ライブ盤の方は6楽章がとりわけ素晴らしいだけに、何とも言えないもどかしさを感じているのです。調べてみると何と、この86年LPOライブ録音はICAから正式リリースされているようです。機会があれば手に入れたいです。

個人的に、マーラーの3番のために個別アルバムを買うのは正直気が引けるのです。今の少ないライブラリでも十分過ぎるほどマラ3は堪能できているからです。こんなお子様のような我儘から抜け出す時が、やっと来たのかもしれません。


■バーンスタイン/ニューヨークフィル(DG盤)

以前から何度も挙げている1枚です。これはこれ、としか言えません。自然のような趣とはまさに逆行する、極めて人間臭いマーラーの3番です。やっぱりマーラーはこうでなくっちゃ、と言うかのような不思議な説得力と迫力があります。1楽章と6楽章とでこんなにコントラスト感のあるマラ3は、バーンスタイン以上のものは無いと言って良いと思います。好き嫌いは極端に分かれそうではあります。


■ベルティーニ/ケルン放送響

個人的にテンシュテット、バーンスタインに次いでNo.3に来るのがこのベルティーニ盤です。ベルティーニ盤はテンシュテットやバーンスタインのような個性(偏屈さと言っても良いもの)が無いにも関わらず、全楽章を通して極めて激的なマーラーに仕上げていると感じるためです。この盤の何が具体的に良いのか、と言われると困ってしまいます。

敢えて言うなら、全曲を包み込むような幸福的な雰囲気でしょうか。これでは何も伝わりませんね。楽章毎のオン・オフの切り替えが最適である(聴かせ所の歌わせ方が上手い)から、ピアニッシモとフォルテッシモの歌い方が可もなく不可もなく、理性を保ちつつも迫力負けをしていないから、とでも言えばいいのでしょうか。言葉で表現するのは難しいです。

マーラーの曲には珍しく、この3番には理性というファクターが大きく効いてくるように思います。とりわけ2楽章以降、そこから聴こえてくる音楽は自然・宗教・神・愛からもたらされる儚くも美しい語り調子だからでしょうか。かと言ってベルティーニ盤が理性的で地味な盤であるとは決して言えないと思います。私はテンシュテットやバーンスタインによるマーラーの世界が好きである一方で、このベルティーニ盤はマーラーの3番としては一番相応しい演奏なのではないかと思えてしまうのです。不思議な1枚です。


■ギーレン/SWR響

アクの強いマラ3はまだまだあります。私が苦手なマラ3は、クーベリックのDG盤のような、録音時間からするとアッサリで淡々としているかと思えば極めてギクシャクとしたテンポ変化が伴うのものです。コッテリしている分には問題無いのだけれど、変にアッチェレランドを掛けて速く進むようなマラ3に納得が行かないのです。そんなクーベリック盤のような個性を持ちつつ、そこまでアッサリと進まないのがギーレン盤だと思います。

ギーレン盤には強い個性があります。ある意味テンシュテットやバーンスタインよりも個性があると言えそうです。一昔前のワルターのマーラーなようでそうでは無いような、要所要所におけるギーレン流の歌い方に癖があってそれが癪に障るのです。必要無いパートの音が必要以上に聴こえてくるような違和感も感じます。色々とやり過ぎで自由過ぎる気がします。バストロンボーンも凄いです。

テンシュテットやバーンスタインのマラ3は許せるのにこれはやっぱり私にはダメです。これを書きながら聴き直してそう感じました。なるべく飽きずに聴きたい、あるいは個性的なマラ3が欲しければクーベリック盤かギーレン盤を採ると良いと思います。ドキッとするような音楽的な仕掛けがあっちこっちにあります。これらの個性はもう聴いてみないことには分かって貰えそうにありません。無念です。


■ハイティンク/コンセルトヘボウ(全集セッション録音盤)

最後に理性的なマーラーからも1枚挙げておきます。ハイティンクはこのマーラー3番を、コンセルトヘボウ・ベルリンフィル・シカゴ響等と繰り返し録音しているようですが、残念ながら今私の手元にはこのPhilips盤しかありません。

ハイティンクのマーラーの中でも、確かに3番はハイティンクの音楽にとても良く似合うような気がします。どことなくシャイな感じがそれっぽいのです。この若かりし頃のハイティンクとコンセルトヘボウによるマラ3には、とにかく不器用さを感じます。67年の録音というのは、バーンスタイン初期のマーラー全集収録中と時期が被ります。やっぱり尚更初々しいと感じさせます。奇しくもそれがマラ3には良く似合っていると感じてしまうのです。

爆発力や情緒感は往年のマーラー怪物達による録音と比較にすらなりませんが、マラ3に限っては別にこれぐらいでも良いと感じてしまいます。大人しいベルティーニ盤だと思えば、これはこれで私にはアリです。若々しいハイティンクなりの情熱が迸るようで、不思議と聴いていて飽きないのです。自然的なマラ3の代表格とでも言えば良いのでしょうか。


// 編集履歴
2017年12月05日 初稿投稿
2017年12月19日 話題が逸れた内容を別記事へ分離

上乃木 燕二
クラシック音楽のブログを運営しています。後期ロマン派〜新ウィーン楽派がメイン。交響曲ネタが多目。オペラ・室内楽を扱うべく奮闘中。元トロンボーン奏者。チェロやりたい。マーラーとテンシュテットが心の師匠。