マーラーの交響曲第1番の個人的名盤:その2

その1はこちらから、その3はこちらからどうぞ。

この”その2″以降の記事は、その他のステレオ盤(※)に対して一言以上の紹介を添えて勝手に紹介するものです。

(※)その1でそこそこ言及している盤(他のテンシュテット盤やケーゲル盤)は取り上げません。テンシュテットのマーラーはまた別の機会にまとめて書きたいと思っています。


■バーンスタイン/コンセルトヘボウ

このバーンスタイン後年盤は、CBS SONYに残した前年盤であるニューヨークフィルとの録音に比べると幾分かコッテリとした、晩年のバーンスタインらしさが出たマラ1だと思います。また、演奏するオーケストラがニューヨークフィルではなくコンセルトヘボウであるということも大きな差別化要因です。コンセルトヘボウもマーラー本人に縁のあるオーケストラです。ニューヨークフィルと比べた時のコンセルトヘボウの弦楽は渋く艶があり、管楽があまり前に出てこないのです。

マーラーの1番の曲想とイメージに照らし合わせると、私はやはりニューヨークフィルとの若々しく溌剌とした情熱が迸る演奏の方が好きではありますが、こちらの方はより主観的でマーラーの音楽らしい1番だと思います。ワルターのマーラーのような情緒感が好きなのであれば、コンセルトヘボウ盤の方も聴いてみる価値があると思います。バーンスタイン晩年の2番や5番のような粘っこさも、それらの録音と比べると息を潜めているように感じます。駄演であるとは決して思えません。


■ベルティーニ/ケルン放送響

往年のワルター/コロンビア響盤を正統進化させたかのようなマラ1だと思うのが、このベルティーニ盤です。とりわけ1,2楽章は歌の情緒が満載でどこまでも美しく、4楽章もワルターほどでは無いにせよ歌うに歌います。どう聴いてもやはりワルターみたいなのですが、オケの技量と迫力はそれと段違いです。ワルター盤を褒める人間がこのベルティーニ盤を褒めないのは理解できません。そういう人って本当に音楽を聴いているのか?と疑いたくなります。

ベルティーニのマーラー録音の傑作はどうにも3番や9番、大地の歌である気がしてなりませんが、1番も十二分に面白いと思います。マーラー指揮者ってやっぱりこうだよな、と感じさせる1枚です。EMIらしからぬ録音状態の良さも光ります。バーンスタインやテンシュテットのマーラーを愛する人や、1,2,5,6,8番ばかりを聴く派手なマーラーが好きな人には是非ともじっくり聴いて欲しい1枚です。世界が変わるかもしれないからです。これがイケれば3番も楽勝だと思います。9番や大地の歌の良さにも気が付けると思います。マーラーの世界に益々ハマる事間違いなしです。


■クーベリック/バイエルン放送響(DGセッション録音盤)

テンシュテットやバーンスタインによるマーラーと比べると、随分軽いように感じられてならないのがクーベリックのDG盤です。かと言って没個性的であるとは言えないのがクーベリックのマーラーなのです。

クーベリックの歌い回しには、クーベリックらしいとしか表現できないものが確実に存在します。バーンスタインほどコッテリもせず、逆に現代音楽的な急激なテンポ変化もしない中、クーベリック流の解釈によって極めて有機的にテンポが変化するのです。これに肌に合えば是非交響曲集の方にも手を出すべきです。後悔は絶対ないはずです。DGに残したセッション録音のマーラー交響曲集は全体的に早めのテンポ感があるので、最初に聴くマーラーとしては長過ぎないため良いのかもしれません。

また、クーベリックのマーラーで一番特徴的なのはトランペットです。この煌々と輝くトランペットを聴くとやはりクーベリックだな、とつい思ってしまいます。これはマーラー以外のクーベリックの録音でも顕著なのですが、彼のトランペットに対する拘りには尋常では無いものがあります。珍しい指揮者だと思います。単にクーベリック時代のバイエルン放送響のラッパ奏者が優秀過ぎただけなのかもしれませんが。

このマラ1の録音でもクーベリックらしさが遺憾無く発揮されています。トランペットが上手いマラ1に外れは無いと言って良いでしょう。ただし肌に合うか合わないかは別問題です。Auditeから出ているライブ盤の方が凄まじい演奏なようですが、残念ながら私は所持しておりません。


■ヤンソンス/バイエルン放送響

クーベリックが同楽団に残したマーラーの延長線上にあると捉えればしっくり来ますが、私はヤンソンスのマラ1ならコンセルトヘボウとのライブ盤を第一に採ります。

バイエルン放送響のマーラーはやはり軽いです。録音技術の向上とヤンソンスの熱意によって更に聴きやすくなっているとは思いますが、このオケによるマーラーであることに変わりがなく、閾値を超えているようには感じられません。良くも悪くも普通です。従来のバイエルン放送響によるマーラーらしい大げさなマラ1だと思います。ヤンソンスJr・ファンには良いと思います。クーベリックの癖に合わなかった方も一聴する価値はあると思います。近年のマーラーにしては情熱的でカラッとしたマラ1だと思います。


■ショルティ/シカゴ響

ショルティのシカゴ響盤は、数あるマラ1の中でも最も迫力に特化したマラ1だと思います。これに匹敵し追い越す録音はテンシュテット/シカゴ響ライブ盤(EMI)しか無いでしょう。地獄から天国へと一気に貫き通すトランペット・トロンボーン・ホルンによるフォルテッシモは流石シカゴ響だと言いたくなります。

20世紀後半におけるアメリカのオーケストラはとにかく馬力が違います。若い音楽ファンはもっとこういう音楽を聴いた方が良いと思います。オーケストラという音響装置にはもっと多くのものを求めて然るべきだと思います。強欲で時代遅れな考え方なのでしょうけど。

ショルティのマーラーはテンシュテット/シカゴ響盤ほど粘らないので、初心者にとって非常に聴きやすいマラ1だと思います。金管にアレルギーを感じないという前提付きですが。現に私もこのショルティ/シカゴ響盤は、バーンスタイン/ニューヨークフィル盤と並行して、マーラーを聴き始めた当初はしこたま聴きまくったものです。学生時代の思い出が深い1枚です。


■ショルティ/ロンドン響

ショルティはシカゴ響とマーラー交響曲集を残す前に、ロンドン響とセッション録音を残しています。シカゴ響盤を聴いた後からすると、こちらのロンドン響盤にはオケの非力さを感じざるを得ず、ショルティの音楽について行けてない事実が透けて見えてしまいます。

マラ1と言えどプロオーケストラでも苦戦する音楽であると良く分からせてくれる録音です。アマチュアのマーラーなんて尚更聴く気にならなくなってしまいます。安易にマラ1を選ぼうとするアマオケは良く考えた方が良いと思います。相当な覚悟が必要です。マーラーはどの曲もノリだけではどうにもなりません。選んだ後に気が付いても遅すぎます。

このロンドン響盤は、シカゴ響盤の完璧主義的なマーラーに納得ができないマーラー・ファンにしか必要ない録音だと思います。シカゴ響盤を聴いていなくとも物足りなさを感じると思います。随分非力で技術レベルも低いので、否応なしに人間臭いマーラーになっています。それでも結局は早めのテンポで淡々と進むマーラーであることに違いなく、ショルティらしさを確かに感じるマラ1です。私はほとんど聴きません。


■ハイティンク/コンセルトヘボウ

バーンスタインのコンセルトヘボウ盤(1番と9番)と聴き比べるとより楽しめると思うのが、このハイティンク盤です。バーンスタインという指揮者が如何に異常であり、彼のマーラーが如何に異常であるのか良く分かると思われるからです。

これに一番近いマラ1を挙げるとすればボールト/LPOのマラ1です。マーラーの音楽に対する共感やリスペクトといった要素をほとんど感じさせません。主観的な色付けが全然無いのです。アッサリとして地味なマーラーという風変わりな音楽が好きなのであれば、ハイティンク盤を愛するべきです。五月蝿いマーラーは御免被るという方にとっても良い1枚だと思います。


■ハイティンク/シカゴ響

ハイティンクはやっぱりハイティンクです。ライナーやショルティ時代のシカゴ響を想定して聴くとしっぺ返しを食らうと思います。シカゴ響の底力を感じさせないからです。テンシュテット/シカゴ響盤を聴いた後だと、全く別のオケによる演奏かのように聴こえると思います。シカゴ響で振っても相変わらず理性的であり、野性的で無秩序な感じはほぼありません。

流石にシカゴ響の演奏なので、コンセルトヘボウとはオケの馬力が段違いであり、ハイティンクの表現がより分かりやすくなっているような気がします。とりわけ1楽章に粘々しさを感じます。1楽章はコンセルトヘボウ盤に比べて何と3分20秒も長くなっているのです。老成したマラ1だと思います。私はどちらかと言えばコンセルトヘボウ盤の方が好きです。


■マズア/ニューヨークフィル

どちらかと言えばバーンスタイン前年盤の趣に近いものがあるのがマズア盤です。同じニューヨークフィルによる演奏なのでそのように感じて然るべきでしょう。とは言えあくまで冷静なマズアのマーラーです。バーンスタインに鍛えられた技術レベルをある程度保持したまま、より普遍的で分かりやすくアクの無いマラ1に仕上がっているように感じます。

このマズア盤はポスト・バーンスタイン/テンシュテット時代のマーラーらしい、落ち着きのある理性的なマーラーである事に違いありません。ハイティンク盤が好きな方にはこれも好みに合うと思われます。バーンスタイン前年盤でもやり過ぎだと感じるのであれば是非聴いて頂きたいマラ1です。


■アバド/BPO

アバドらしいマーラーであり極めて聴きやすいマラ1なのですが、私はシカゴ響盤の方がどうしても好ましく感じられてなりません。最初の1枚としてはピッタリだと思う反面、長く付き合って行くには物足りなさを感じてしまいます。何度も聴きたいとは思いません。また、カラヤン時代の録音から得られるベルリンフィルのイメージとも全く違います。どこまでも人間的で楽観的な音楽です。アバドより前のベルリンフィルらしさを期待すると必ず裏切られます。ベルリンフィルもご多分に漏れず時代と共に出て来る音楽は変遷するのです。

ベルリンフィルによる良くも悪くもお上品で小奇麗なマラ1です。バーンスタインやテンシュテットのようなアクの強いマーラーや、クーベリックやギーレンによる個性的なマーラーに納得が行かないと自覚から聴くべき録音だとも思います。


■マゼール/VPO

何もコッテリしたマーラーはバーンスタインの専売特許ではありません。バーンスタインのマーラーから齎される自己陶酔的で主観的な印象は確かに彼独自のものなのですが、だだっ広く雄大なマラ1は少ないながら他にもあります。

このマゼール盤はバーンスタイン後年盤よりも1分長いのです。恐れ入ります。大抵は55分よりも短いもの(53分〜54分)が多いように思うマラ1の録音ですが、このマゼール盤は58分もあります。実時間の差はそれほどでは無くとも音楽的な差はずっと大きく感じるものです。じっくり腰を据えて聴きたいのならこちらも良いと思います。

このマラ1はマゼールなりの情緒でもって歌いに歌われ、とりわけ2楽章の粘っこさはバーンスタイン後年盤並なのですが、私には良さにも増してしつこさや冗長性を感じられてなりません。マゼール独特の”溜め”が癪に障ります。合うか合わないかはキッパリ分かれそうなマラ1です。


■シノーポリ/フィルハーモニア管

私の中でも珍しい嫌いなマラ1の代表格がシノーポリのマラ1です。”えぇ!?そこでそんな事するの???”という疑問符が何時聴いても付き纏ってくるのです。シノーポリのマーラーはマゼール以上に癖のあるマーラーだと思います。好きな人には堪らないのでしょうが私には御免被りたいマラ1です。

演奏の完成度もシノーポリの解釈にも悪い所は無いように思います。単に私の好みに合わないだけなのです。シノーポリらしさが引き立つ立派なマラ1だと思います。でもやっぱり繰り返し聞く気にはなれません。ある時ふとしたきっかけで聴き直し理解できる日が来るやもしれません。


その1はこちらから、その3はこちらからどうぞ。

上乃木 燕二
クラシック音楽のブログを運営しています。後期ロマン派〜新ウィーン楽派がメイン。交響曲ネタが多目。オペラ・室内楽を扱うべく奮闘中。元トロンボーン奏者。チェロやりたい。マーラーとテンシュテットが心の師匠。