マーラーの交響曲第2番に想うこと

マーラーの交響曲第2番とは、“全人類の救済と復活”というテーマを持った舞台祭典劇です。私はマーラーの曲の中では1番、5番、9番のような純器楽曲が何より好きですが、彼の本懐は2番4楽章”原光(Urlicht)”のようなリート(Lied,歌曲)にあります。”さすらう若人の歌”、”子供の不思議な角笛”のような初期の歌曲も十分にロマンティックだと思います。

この2番から、マーラーの思想・哲学・宗教観が大胆に発揮されて来ます。2番から4番までの間は、交響曲とは謂わば彼の信仰告白であるような性質が特に強くなります。それらのルーツは幼少期のユダヤ・カルチャーでの生活、キリスト教教会での少年合唱、ドイツ哲学や文学の読書経験にあると言って良いと思いますが、それらが熟成され音楽として顔を出すようになるのはこの2番から、彼の年齢にすると約34歳頃の時からなのです。

また、交響詩(後の交響曲第1番)が最初に作曲されて以降、この2番が完成するまでの期間が極めて長い事も特徴的だと思います。その途中で交響詩の改訂、”子供の不思議な角笛”の作曲、指揮者としての独り立ちと武者修行が挟まっている事情があるにせよ、およそ7年も経っているのです。彼の作曲人生の中で最も長いブランクがこの時期です。

単純に時間を掛ければ掛けるだけ良いと言う訳ではありませんし、音楽学的な充実さは後年曲に譲るとしても、この曲が内包する精神性・標題性は非常に濃密で独特だと思います。ベートーヴェンの9番にだって負けていないと思います。晩年、とりわけ5番以降の作曲周期が1〜2年間と比較的固まっている事と比べても非常に対照的だと思います。

ここでも幾つかのテーマに分けて、マーラーの2番をどう見ているのかまとめておこうと思います。これまた非常に長くなってしまったので、見出しだけ最初に貼っ付けておきます。

■交響曲第1番との関連性
■1楽章:”葬礼”という標題性
■”英雄”とは誰だ?
■”葬礼”のその後
■2楽章:美化された過去への陶酔
■3楽章:マーラーの自虐再び
■ハンス・ロットのスケルツォ、狂気と死と鬱憤
■4楽章:”生き天国”への憧憬
■5楽章:”最後の審判”の到来と全人類の”復活”
■マーラーによる生死の肯定
■総括:マーラーの自伝として見る2番
■余談:交響曲と声楽


■交響曲第1番との関連性

1番と2番の間には、大きく分けて2つの関連性があると私は思います。

1つ目は音楽的な関連性です。1番1楽章冒頭のクラリネット・ファンファーレ、1楽章再現部(コーダ)のトランペット・ファンファーレ、4楽章展開部のホルン・ファンファーレ(天国の動機の予告直前)に共通して見られる、オクターブ跳躍を伴う動機が、細かい違いはあるにせよ2番1楽章冒頭部、5楽章冒頭部の動機として出てくるのです。

2つ目は、マーラーが指揮した過去の公演プログラムに見られる関連性です。1896年、交響詩”巨人”を4楽章形式の交響曲に改訂した第3稿(現在の1番)の初演をする際、その曲の直前に2番1楽章を置き、”葬礼”の標題を付けて演奏したと記録に残っているのです。2番1楽章は元々”葬礼”と言う名の単一交響詩、あるいは交響曲の第1楽章として作曲されたものでした。1896年当時、2番は5楽章まで完成済で既に全曲初演も終えているにも関わらず、再び”葬礼”としてプログラムに乗せたのです。これがマーラー本人によって演奏された最後の”葬礼”公演らしく、それから2番を扱う際は5楽章全曲公演だったそうな。

つまり、何らかの理由や意味付けにより、1番と2番は切っても切れない関係にあると言える訳です。マーラーの生涯全般、1番と2番の動機の共通性、過去のプログラム、後年のマーラーが残した2番の解題を俯瞰した結果、私は以下のように解釈できると思っています。

  • 2番1楽章は、1番で描写した”英雄”が迎えた死を弔う葬礼音楽である。
  • 2番5楽章は、その”英雄”を含めた全人類の救済・復活を歌った音楽である。

ちなみに、マーラー本人が”復活”という標題をこの曲に付けた事は一度もありません。今も昔も周りが勝手に騒いでいるだけです。こんな風に。


■1楽章:”葬礼”という標題性

既に上述した通り、マーラーの2番1楽章は元々”葬礼”と言う名の単一交響詩、あるいは交響曲の第1楽章として作曲されたものでした。しかし”葬礼”のピアノ版を聴かせたハンス・フォン・ビューローには分かって貰えず拒絶されしまい、出版社からも単品物として世に出す事を断られてしまった結果、現在の2番、すなわち5楽章交響曲の1楽章へと役割を移していくのです。

“葬礼”という標題は、この単一作品が交響曲として再構成される段階で取り去られました。しかしながら、上述したようにその後になってからも”葬礼”として演奏されていた事も事実です。つまり2番1楽章に”葬礼”の標題性を感じることは別におかしく無い訳です。そうなると次に気になるのは、“誰の葬礼なのか?”と言う事です。

葬礼として弔っている人物の候補は、次の4つだと私は思っています。

1つ目の候補は、先立つ交響詩(1番)で描写された”英雄”です。これが最も有力だと思います。マーラーが解題を残しているのです。1番の交響詩時代(第1稿)からの作曲史を2番のそれと同時に辿ってみると、その交響詩は”英雄”または”人”の一生を描写する物語や抒情詩であるように思えてなりません。第1稿の標題(第1部:若人・美徳・結実・苦悩のこと等の日々、第2部:人間喜劇)を見ると明らかです。この事は第2稿で”巨人”の標題が付くかどうかとは直接の関係がありません。結局、マーラー本人は4楽章交響曲(第3稿)の段階で標題や説明を全て取り去ってしまうのですが、”葬礼”を作曲していた時期の1番は交響詩の状態であり、上述したような1番との関連性が認められる事も注目に値すると思うのです。

2つ目の候補はマーラーの家族です。候補に挙げておいて難ですがこれは有り得ないと思います。1番〜2番が作曲・改訂される間に、彼の家族の中で父ベルンハルト、妹レオポルディーネ、母マリーが相次いで亡くなっているのは確かに事実です。しかし”葬礼”が完成したのは1888年、彼らが亡くなったのは1889年、時期が合わないのです。家族が亡くなる前に”葬礼”が出来上がっているためです。これは単なる後付による説明でしかありません。

尤も、彼がクロプシュトックの”復活”に天啓を受けたのは、そういった身近な死があまりにも多すぎたからだ、と言う分には私も大いに賛成したい所です。ビューローの葬儀は1893年、2番が完成したのは1894年だからです。それにも増して、幼少期以来、彼の若さに比べると周囲の者の死が凄まじく多いのは間違いないと思うからです。彼は14人兄弟の次男として生まれるも、兄弟が死に、友人が死に、両親兄弟が死に、止めに指揮者として尊敬していたビューローまで死んでしまうのです。その殆どを30歳になるまでに迎えてしまうのです。あまりにも若すぎる、あまりにも死が多すぎるのではありませんか。


■”英雄”とは誰だ?

ここからは”葬礼”の候補として、上記で述べた”英雄”に焦点を絞って具体的に考えたいと思います。ここからは私の主観が多いに入ってきます。1番については既に別の記事で書いてあるので、そちらも参照されると良く分かるのかもしれません。

3つ目の候補はマーラー本人です。”葬礼”を作曲し始めていた1888年6月、彼は故郷のボヘミア・イーグラウに戻って軽い療養生活を送っていました。”葬礼”の作曲時期は、5月にライプツィヒ市立歌劇場とケンカ別れをしてミュンヘンで手術を受け、7月にプラハのドイツ劇場に戻ったまでは良かったものの、9月にゲネプロ中に激怒した事で解雇処分になるまでの間にあたります。旧友の尽力によって10月から渋々ブダペストのハンガリー王立歌劇場に赴任するのはその後です。

ライプツィヒ時代にはワーグナーの”ニーベルングの指輪”の上演、ウェーバーの未完オペラ”3人のピント”の補完と上演の成功で一発を当てる事ができた一方、オーケストラ奏者・歌手・劇場のマネージメント層と衝突を繰り返すのは相変わらずで、この時もまだ各地を転々と彷徨う生活を送っていたのです。“Fahrenden Gesellen(さすらう若人・職人)”とは、まさにそんな彼自身の事を表しています。

彼が自身の死を意識し始めるのも、この頃からだと思われます。結局はまたボヘミアの片田舎まで逆戻りだ、人生がちっとも前に進まない、体の調子もあまり良くない、生きるとはなんだ?死ぬとはなんだ?と疑い始めて”葬礼”をでっち上げる事ぐらい、彼には朝飯前だと思ってしまうのです。”葬礼”とは生きる目的を見失いそうになった彼自身の死を弔うものでもあるのです。それ以前の彼の曲、すなわち”さすらう若人の歌”も1番も自分自身の事を表現していたのだから、2番だって同じように考えてみても何ら不思議では無いと思うのです。

4つ目の候補は友人ハンス・ロットです。ロットの1番3楽章スケルツォ、ロットの死、交響詩(1番第1稿)の作曲開始時期とスケルツォ、”葬礼”の作曲、2番3楽章スケルツォ中間部、クロプシュトックの”復活”の引用、これらには一貫したものを感じてしまうのです。ハンス・ロットの存在です。非常に恣意的な解釈であるのは重々承知しているのですが、”葬礼”や2番はロットを弔うための音楽だと捉えてもしっくり来てしまうのです。作曲時期的にも音楽的にもマーラーの精神的にも、実際に亡くなった人物の中から”英雄”を当てはめようとするならば、ロット程ピッタリと嵌まる人間がいないのです。


■”葬礼”のその後

マーラーが交響曲の作曲を再開するのは5年後の1893年です。その間、両親の他界と自身の体調不良、前作の交響詩第1稿(ブダペスト稿)の初演失敗と改訂、”子供の不思議な角笛”の作曲開始が続き、”葬礼”に対する2度のダメ出し(ビューローと出版社)を経た後の事です。

“葬礼”を交響曲の1楽章にする事を決心してから、3楽章までは比較的スイスイ完成したようです。恐らくは楽章構成のイメージが前作の交響詩と同じだったからでしょう。前作の交響詩第1稿(第2稿も同様)は2番と同様に、1楽章は動機・主題提示楽章、2楽章(花の章)はアンダンテ緩徐楽章、3楽章はスケルツォ楽章だからです。

“葬礼”は単一の交響詩としても作曲された経緯があって、独立性が非常に高い音楽であることをマーラー本人も自覚していたのでしょう。1楽章が終わった後に“5分以上の間を空けろ”なんて指示をスコアに書いておく作曲家はまずいません。最近の現代音楽ではどうなんでしょう。マーラーとシェーンベルク以降、作曲者の指示はクドくなるばかりなので、他にあったとしてもそこまで不思議ではありませんけど… ティンパニに頭から身体を突っ込ませる曲を書くようなヤバい人もいるようですし…

それは兎も角、1番の1楽章は華やかで明るい印象のまま終わるため2楽章とのギャップは全然感じないのですが、2番はやはり1楽章が強烈過ぎると思います。これにどう収集を付けるべきなのか、悩んで当然だと思います。


■2楽章:美化された過去への陶酔

2番の2楽章はマーラーの音楽の中で最も単純で分かり易い楽章の1つだと思います。花の章におけるトランペット・ソロ、3番におけるポストホルン・ソロのような明確なマーラーらしい音楽の特徴がほとんど無いためです。頭でっかちな1楽章とバランスを取ろうとするべく、敢えてダイナミックレンジとオーケストレーションの層を薄くし、聴衆の心持ちを何とか保とうとしているような意思が垣間見えます。

マーラーが残した解題によると、この2楽章はどうやら1楽章で看取った“英雄”と過ごした過去の思い出を描写しているようです。やはり内容の分かりやすさは前作における花の章と同じレベルだと思います。夢見がちな華やかな楽章だとも思います。そちらと比較すると少し悲しげなのは、死んでしまった”英雄”への哀愁のように感じてなりません。


■3楽章:マーラーの自虐再び

ところが3楽章に入って早々、現実と現在の世界に引き戻されます。冒頭のティンパニによる強烈な打撃によって夢の世界・過去の思い出から、悪夢から目覚める時のように突然、辛い現実に戻されるマーラーの心情が現れているのがこの3楽章だと思います。4楽章が”生き天国”だとすれば、3楽章はまさに”生き地獄”を表していると言えるでしょう。

3楽章冒頭の音楽は、彼の歌曲”子供の不思議な角笛”の中の”魚に説教するパドゥアのアントニウス”と共通しています。この歌曲を一言で表すならまさに“馬の耳に念仏”です。如何に人徳に富んだ聖人であれ、相手が魚であれば説教をする意味は無いのです。この曲は、語る相手を選ばずに神や宗教の偉大さ・有り難さを説き続ける哀れな聖人とその無意味さを笑い飛ばす音楽であり、それと同時に、そんな聖人の如く周囲のゴミのような人間・オーケストラ奏者・歌手達と嫌でも指導しながら付き合わざるを得ない、己自身の現実的な不幸をも笑い飛ばす音楽なのです。

マーラーはブダペストのハンガリー王立歌劇場時代以降、周囲と衝突を繰り返しながら各地を転々と彷徨う流浪人生活に別れを告げます。ブダペスト、ハンブルクを経て、近い将来いよいよ念願だった本拠地ウィーンに殴り込む時代がやって来ます。しかしウィーン時代においても結局、周囲と揉める事は変わらないのですが…

とは言え楽団からクビにならなくなっただけでも、人間的に十分成長したのだと私は思うのです。この曲が作曲されたのは、そんな順調な指揮者活動へと軌道を乗せつつあるハンブルク時代です。人間的な成長には必ず自身の妥協が必要になります。我慢と忍耐も必要です。演奏が思い通りにならなくても激怒してはダメだとやっと気付いたのでしょう。この3楽章は、そんな現実と向き合って心に蓄積されて行く鬱憤を嘆く音楽でもあると思うのです。


■ハンス・ロットのスケルツォ、狂気と死と鬱憤

3楽章で驚くのは冒頭のティンパニだけではありません。”魚に説教するパドゥアのアントニウス”の旋律が一通り流れきった後、突如フォルテッシモでもって、ロットの交響曲第1番3楽章のスケルツォが飛び込んでくるからです。そこに前置きは一切ありません。もはや狂気と言えるものだと思います。”アントニウス”の主部と連結する部分は実に雑です。前部分は前置きがない上、後部分は木管の狂気的な高速下降とムチの打撃音で繋がるからです。

このロットの主題が更に狂気的に発展して、5楽章冒頭部で再現される”最後の審判”の到来を予告するようになります。英語版Wikipediaによると、これをマーラーは“絶望の叫び”あるいは”死の悲鳴”と呼んだそうな。何故ロットのスケルツォがここで突然飛び出してくるのか、本当に訳が分かりません。ロットの交響曲を知る前は単純に変だなぁとしか思わなかったのが、それを知ってから逆に考えるようになってしまいました。

このロットの主題が飛び込んでくる様はもはや発作的と言って良いと思います。ロットはその短い生涯の中で精神を病んでしまった経緯からか、マーラー自身の内的衝動(周囲への怒り、現実への怒りの爆発)を音楽で表そうとしたとき、ロットの音楽が適していると判断したのだろうと想像するしかありません。ロットの交響曲も十分にマーラー的で狂気的な音楽だと思うからです。

もう1つの鍵となるのはです。一昨年の1891年には両親と妹も亡くなり、終いには自身の体調も悪化してしまいます。これらの出来事によって、次の死の順番はいよいよ自分に回ってくるのではないか、と自覚していてもおかしくないと思うのです。そんな死の恐怖から来る悪夢の魘(うな)されや精神的疲労の結果、若くして狂い死んだロットのスケルツォがリフレインされたと想像するのも無くはないのかな、と思うのです。同じ旋律が頭の中でずっとグルグルする経験は誰しもあるかと思います。それをそのまま出してきた、としても何となくリアリティがあるように思うのです。

この3楽章のムチの音とリズムを聴いて第一に浮かんできたイメージは、偏頭痛が発生した時の痛みか、指揮棒を指揮者用譜面台に向かって叩いた時に出るバチバチと言う音です。トゥッティ同士の縦の線が揃っていない事を奏者に分からせるために叩く、演奏を中断させる時に感情的になって叩く、我慢できなくなって物に当たろうとした時に叩くアレです。

それは指揮者台に立ったことがある人間なら誰しも思うであろうし、ヒステリックな指揮者が来たらとにかく煩くて仕方がなかった経験のある奏者の方もいる事だと思います。この時点ではまだまだ指揮者家業が中心だったマーラーが、そんなイメージを曲の中に持ってきたとしても不思議では無いと思うのです。指揮者も指揮者でストレスフルな仕事なのは良く分かるからです。リアルで発散できない鬱憤をこういった形で晴らすのもあり得ると思うのです。


■4楽章:”生き天国”への憧憬

2番の4楽章以降、すなわちフィナーレのケジメをどうするのか決め兼ねている内に約半年強が過ぎてしまいます。そんな状況で迎えた1894年、お世話になっていたビューローが遂に亡くなってしまいます。その葬儀で聴いたクロプシュトックの”復活”の詩に基づくコラールを聴いた瞬間、フィナーレの天啓を受けることになります。

大々的なフィナーレは5楽章に持っていくとして、4楽章には既に作曲していた”子供の不思議な角笛”の”原光”を持ってくることにしました。この曲は5楽章と全く関係が無いかと言えばそうではありません。むしろ滅茶苦茶関係が有ると言って良いと思います。

“原光”の最初に歌われるのは、苦しい現実に対する悲観と嘆きです。1,3楽章で見てきたような辛い現実の世界で生き続けるのであれば、一層のこと天国(Himmel)にいたいと嘆くのです。トランペットのコラールは、まるで天国への道中で待ち構える天使を表しているかのようです。しかしこの歌はただ黙って死を待つ、天国へ招来されるのを待つのではありません。何と天使の制止を振り切ってでも天国へ、神の元へ帰ると宣うのです。

つまりこの歌を歌っている人物は死んでいないのです。”葬礼”で弔った”英雄”では無いとしたら、やはりマーラー自身の心の叫びだと解釈する方が自然だと思います。尤も、この曲に見られるマーラーの輪廻転生に似たような死生観に基づくのであれば、死んだ人間ですら永遠に生き続けようとするのでしょうから、それが仮に”英雄”であっても別に構わないとも思います。どう解釈するのかは人によって分かれると思います。

マーラーにせよ”英雄”にせよ、そんな事を歌う自身には神から一筋の光が齎され、永遠にして至福の生命(Das ewig selig Leben)を得るのだと宣います。つまり彼にとっての天国とは、信者や弱者が死後に救済されるキリスト教的天国ではなく、生きていながらも強い意思を持つ事で到達できる新境地とでも言うべきものなのです。それはニーチェの思想である永劫回帰・超人・権力意志の観念に繋がるものがあります。ちなみにニーチェの”ツァラトゥストラはかく語りき”が執筆されるのは1883〜1885年の間です。時期的にもビンゴします。後の3番ではその書籍からの引用も出てくるように、ニーチェの思想にドップリ浸かっている事を証左するものは探すには困らないのです。

そんな“生き天国”とでも言えるものは具体的にどんな世界なのか、と言う問いに対してマーラーは音楽で答えを出します。それが最後の楽章である5楽章です。彼にとって交響曲とは”世界そのもの”でもあるのです。また、当時のドイツ哲学や文学からの影響も無視できないでしょう。現実の苦痛から逃れ、生を積極的に肯定できるとする人間の所業の一つに、芸術や音楽が位置付けられていたからです。ショーペンハウエルの思想なんてドンピシャです。音楽活動に救いを求めようとしたのは、ある意味で理にかなっていたと言えるのです。


■5楽章:”最後の審判”の到来と全人類の”復活”

5楽章では人類最後の日、すなわち黙示録のラッパの響きと共に”最後の審判”が到来し、死者が起き上がって神の元へ救済されるべく行進していく世紀末的情景が描写されています。具体的な音楽も見てみても、1楽章で予告されていた”グレゴリオ聖歌”の怒りの日、トロンボーンの起用法、コラール、(ドレスデン・)アーメンと言った側面から齎される印象はやはりキリスト教的世界観です。

ただしこれらのキリスト教的要素は、所詮借り物の器・舞台であると見做すべきです。5楽章はキリスト教的な復活を意味していると考えるよりも、マーラーが歌いたい曲を歌うに相応しい舞台がたまたまキリスト教的な舞台なだけであったと解釈する方が自然なのです。4楽章”原光”の歌詞、クロプシュトックの”復活”の後に書き足したマーラー自作の歌詞を見れば明らかだと思います。

5楽章における歌詞の最初の2連、すなわちクロプシュトックの”復活”の詩は紛れもなくイエス・キリストと信者達の復活を歌うべく書かれた歌詞です。”よみがえれ(Aufersteh’n)”とは間違いなくそれらの復活であり、ドイツ語ではイエスの事を”der Auferstandene”と表す事からも明らかです。“主(Der Herr)”という単語が現れるのもここだけです。大いなる声、黙示録のラッパ、ナイチンゲールの鳴き声が響き渡った静寂の後、厳かな教会合唱の雰囲気そのままで始まり、オーケストラが奏でる音楽もドレスデン・アーメンの旋律に実にそっくりです。ここまでは間違いなくキリスト教の世界だと思います。

ところが、アルトの独唱から雰囲気が少しずつ変わり始めます。段々と音楽の中に活力が漲ってくるのです。ソプラノ独唱、男声合唱とアルト独唱、アルトとソプラノの二重唱を経て、オーケストラが奏で混声合唱が歌うアーメンの旋律にも尾ひれが付いてどんどん発展して行きます。そしてパイプオルガンが合流して来て、最後の最後に大フィナーレを歌い上げます。独唱や二重唱の歌い回しはもはや教会音楽ではなく、ワーグナーの楽劇のように純粋で人間的な音楽へと昇華しているように思えてなりません。

歌詞の方も残りの6連、すなわちマーラーの自作歌詞には”主”の単語が出てこないばかりか、イエスの復活を歌う内容はどこにも出てこないのです。”神(Gott)”でさえ最後の最後の1文になってやっと一度登場するに留まります。ここで言う”汝(Du)”とは自分自身であり全人類の事です。“よみがえれ(Aufersteh’n)”とは死者の復活であると同時に、生に対して積極的になる生者の自覚をも意味します。”震え恐れるのはやめろ!生きるための仕度をしろ!(Hör’ auf zu beben! Bereite dich zu leben!)”とはそう言う自覚を促す謳い文句な訳です。

歌詞全体の内容は4楽章”原光”の延長線上、つまり生きていようが死んでいようが、あらゆる苦痛や苦悩から開放され、死への恐怖さえ克服できる、自分自身の力と愛への欲求をもってして天国や神の元へと飛び立とうとする強い意思を歌うのです。その新境地、マーラーにとっての天国こそ最後のフィナーレで歌われる音楽と舞台そのものなのです。それまでに見られたキリスト教的世界観は、マーラーが本当に歌いたい事を歌うためだけの舞台演出だと私は思います。謂わば目的ではなく手段なのです。

マーラーによる解題にもあるように、この”最後の審判”には神の裁きがありません。人類皆誰しもが平等であり、神は信者と非信者を区別することは無いとしているのです。熱心なキリスト教信者ならばこんな事はまず言わないでしょう。つまりマーラーにとっては”神=イエス”では無いのです。

実際に当時のマーラーはユダヤ教徒でした。彼は幼少期にキリスト教教会で合唱を歌っていた経験があり、世渡りの手段としてキリスト教(ローマ・カトリック)へと近い将来に改宗する訳ですが、そもそもイエスの復活を自身の曲の中で歌う理由や意味がありません。イエスはぶっちゃけどうでも良かったのです。彼に興味があって都合が良かったのは、あくまで”復活”の詩の内容だったのです。

つまり5楽章で歌われる”復活”とは、最初の極一部はイエスとキリスト教信者の復活であるにせよ、本筋は死者も生者もあらゆる身分や立場をも引っくるめた、全人類の復活とでも言うべきものなのです。現実の苦痛から逃れるための”復活”と神の救済と言った観念はキリスト教と共通していますが、それと決定的に違うのは人間側が強い意思を持っているかどうかと言う事です。

ここには”神は死んだ”と主張したニーチェの思想、芸術創造に活路を見出したショーペンハウエルの思想、個々人による生への肯定を通してキリスト教による精神的支配と弱者の論理から脱しようとした、19世紀のドイツ哲学から齎された影響が間違いなく潜んでいます。ここで歌われる人間は神に服従し宗教に服従する弱者では決して無いのです。宗教の戒律や福音なんてものはどこにもありません。人間自らの意志と愛だけでも神の元へ辿り着ける、天国に赴けるのだという宣言でもあるのです。


■マーラーによる生死の肯定

2番の4,5楽章で歌われる歌詞の中で、以下の3つも実に特徴的だと思います。

  • “私は神の元から来て、神の元へと戻るであろう!(Ich bin von Gott und will wieder zu Gott!)” – 4楽章”原光”
  • “生まれたものは必ず消える!消えたものはよみがえる!(Was entstanden ist, das muß vergehen! Was vergangen auferstehen!)” – 5楽章の男声合唱
  • “私は生きるために死のう!(Sterben werd’ ich, um zu leben!)” – 5楽章の最終合唱

これらに共通するのは、マーラーの独特な死生観です。我々日本人にとってみれば輪廻転生の思想に近いでしょう。

上述してきたように、マーラーが2番を書き上げるまでの人生において、自身を含めた数多くの死の経験と危機を乗り越えて来たのだと思われます。そんな彼にとっては生への肯定と同時に、死への肯定が必要だったことも想像に難くありません。その必要性が生じた時になって、このような輪廻転生の思想、厳密には違いますがニーチェの永劫回帰のような思想に根拠と拠所を求めたことは実に自然だと思います。5楽章のアルト独唱とソプラノ独唱は、こういったマーラーの生死に対する肯定を自問自答しているものだと見れば良く分かるようになると思います。


■総括:マーラーの自伝として見る2番

以上の事をまとめると、マーラーがそれまで接してきた数々の理不尽な死に対して何とか答えを出そうとした、音楽創造と神の自愛に救いを求めようとした結果がこの2番であると言えるでしょう。何となくキリスト教的な雰囲気を醸し出す、何となく厳かな宗教曲な訳でも無ければ、イエスの復活を待ちわびて作曲したキリスト教絶対主義的宗教曲でも無いのです。もしここまで読まれた酔狂な方がいるのであれば、これだけはどうか忘れないで頂きたいです。

ネットを彷徨っているとどうも、”復活”という標題だけが独り歩きしているような気がしてならないのです。”巨人”と同じく”復活”という標題やニックネームも誤解を招きかねないものだと思います。マーラーの2番を聴いてイエスの”復活”だと言うのは、ワーグナーの”パルジファル”を聴いてキリスト教会音楽だと言うのと同じ事です。手段と目的を入れ違えるとこう言った的外れな誤解をすることになります。最後にもう一度、マーラー本人が”復活”と言う標題をこの曲に付けたことは一度も無い事を強調しておきます。


■余談:交響曲と声楽

交響曲に声楽を持ち込んだのは何もマーラーが初めてではもちろんありません。番号付きの物ではベートーヴェンの9番、メンデルスゾーンの2番”賛歌”が前例にあります。ベルリオーズの劇的交響曲”ロメオとジュリエット”、リストの”ファウスト交響曲”や”ダンテ交響曲”なんて例外中の例外です。前者2つのロマン派交響曲作家による曲とは、決定的に違う側面がマーラーの2番には存在します。ちなみに、第九よりも前に作曲された合唱付きの交響曲は2つ程あるそうですが、私は聴いたことが無いので触れられません。スミマセン。

マーラーの2番とベートーヴェンの9番とは共通する面も多いです。1楽章は葬送行進曲で始まり、最終楽章では主題を器楽で提示した後で声楽に歌わせる手法を採り、独唱と合唱を効果的に用いているからです。しかしベートーヴェンの模倣で終わらないのがマーラーの凄い所です。伝統的な4楽章形式からの脱却を図り、スケルツォをど真ん中3楽章に配置して音楽的均衡を保とうと試みているのです。前作の交響詩”巨人”は同じ5楽章構成でありながら、2番を完成させた後に”花の章”を削って4楽章形式の交響曲第1番に改訂してしまいます。つまりマーラーによる5楽章形式の交響曲は2番が最初なのです。後の5番と7番において、その効果が目に見えて現れていると言って良いでしょう。

また、2番の4楽章も極めて斬新であったと言わねばなりません。これは単純に交響曲の中に独唱を持ち込んだという事実だけではありません。謂わば“オペラのアリア”を交響曲に導入しようとした前衛的な試みなのです。この4楽章はもはや独立した歌曲です。”原光”は同時期に作曲した”子供の不思議な角笛”から分離させた背景があるように、交響曲の楽章として考案されたものではそもそも無いのです。教会合唱の経験、オペラ指揮者の経験を経たマーラーにとって、自身の曲の中で歌を歌わせる事は特別な事では無かったのです。たとえそれが交響曲であったとしても。声楽をオプションとは捉えず器楽と同じレベルで扱い、交響曲の秩序とリート(歌)の美を巧みに融合させたのがマーラーであり、それはベートーヴェンでさえ成し得なかった偉業なのです。

マーラーが更にも増して凄いのは2番で終わらなかった事です。続く3番では2番の楽曲構造、すなわちベートーヴェンの9番から齎された”合唱は最終楽章でのフィナーレ的要素”という形式やイメージをキッパリと捨ててしまうのです。楽章数も6まで達し、4,5楽章には2番と同様に独唱・合唱を用いつつも、最終楽章の6楽章では何と純器楽曲に戻してしまうのです。この6楽章は純器楽曲にも関わらず何ともリート的です。楽器でリートを歌っているも同然です。ベートーヴェン以降における新しい交響曲の存在意義や定義を彼なりに模索しようとしていたのでしょう。そしてそれは後の8番において花が開く事になります。

メンデルスゾーンの2番”賛歌”は交響曲というより、オペラやカンタータ的な意味合いが強い曲です。交響曲の形式を保つためだけにとにかく長い、曲の半分近くを占めるシンフォニアから始まり、その後はアリアに混じってレチタティーヴォまであるのだから驚きです。むしろイタリアン・オペラだと思った方がしっくり来ます。もちろん歌劇では無いので、やはり交響的カンタータという標題がこの曲の一番正しい見方だと思います。楽曲の形式的にはハイドンの天地創造と交響曲と古典オペラを足して3で割ったようなトンデモ楽曲です。シンフォニアから先に音楽的秩序はほぼ無いに等しいです。メンデルスゾーンのやりたい放題です。ある意味でマーラー的な曲だと思いますが、交響曲としての秩序はマーラーのそれとは比べ物になりません。似てもいませんし比較するべきものでもありません。

交響詩の創始者リストのそれらや交響曲も、マーラーやリヒャルト・シュトラウスに対して影響を与えていたと言って良いと思います。ベルリオーズ以降、物語性と交響曲を丸ごと結びつけたのがリストだからです。”ファウスト交響曲”、”ダンテ交響曲”は戯曲と交響曲を結びつけようとしたその先駆けと言えるでしょう。リストとワーグナーの後、マーラーは歌曲と交響曲で時代の最先端を行き、R.シュトラウスは楽劇と交響詩で最先端を行ったのです。前者はより個人的で革新的、後者はより普遍的で伝統的な芸風なのも面白い違いだと思います。両者を繋ぐのはニーチェの哲学、”ツァラトゥストラはかく語りき”、すなわちマーラーの3番とR.シュトラウスの同名交響詩です。同じ題材を扱ってはいても作曲哲学によって内容が大きく違ってくるのがこれまた何とも面白いのです。

一方でベートーヴェンからマーラーに至るまでの時代に、歌曲と交響曲の領分をキチンと住み分けた大家もいます。ご存知シューベルトです。彼は”グレート”交響曲ハ長調の4楽章において、ベートーヴェンの9番4楽章の旋律をそれとなく引用していますが、結局は純器楽的な交響曲しか残しませんでした。これが普通です。歌を歌うにしても、交響曲においては楽器で歌うのが美学上の常識だったのです。ベートーヴェンの9番4楽章だけが別格の存在だったのです。それがどう別格だったのか気になる方は、第九の受容史を勉強されるときっと面白いと思われるでしょう。最近のレコード芸術でも特集されていた気がします。何も考えずありのまま”第九”として楽しむ聴衆文化は、極々最近に始まった事なのです。

シューベルトの後世代だったロベルト・シューマンは、良くも悪くも中途半端な交響曲しか残さなかった上、更に次世代の保守派の筆頭だったブラームスはもはや言うまでもなく、革新派の筆頭だったワーグナーは交響曲(第九)に音楽的限界を見出して楽劇の正当化へと走ってしまい、ワーグナーに心酔していたブルックナーでさえ交響曲に声楽を持ち込もうとしなかったのです。こういった歴史や伝統から来る重圧を平然とスルーできる人間だけが、交響曲に声楽を持ち込むことができたのです。 ベルリオーズ、メンデルスゾーン、リスト、マーラーの声楽交響曲は極めてマイノリティであった事を理解しなければなりません。

交響曲と声楽が本格的に結びつき始めるのはマーラー以降、すなわち20世紀からです。ショスタコーヴィチはもちろんの事、マーラーより少しだけ後のイギリスの作曲家:ヴォーン・ウィリアムズの交響曲にも大胆な声楽が導入されているものがあります。海の交響曲(1番)、南極交響曲(7番)には合唱があり、鬱陶しい宗教観や政治的批判性は微塵も無く、どこまでも雄大で冒険心が溢れる名曲だと思います。1番の方はマーラーとR.シュトラウスの良いとこどりをしたような感じがします。しかし一方で物語を見ると、まるで交響曲界のジュール・ヴェルヌのようなのです。”海底2万マイル”の原作にロマンを感じるのであれば、それらの良さはきっと理解できるでしょう。ボールト/LPOによる交響曲全集(EMI)という決定版があるので、もし聴いたことが無いのであれば今直ぐ買いに走るべきです。

とは言え、ヴォーン・ウィリアムズは作曲時期によって作風が大きく変わるのも事実です。海の交響曲を聴いた後に4番、6番を聴くと訳が分からなくなると思います。現に私はそうなりました。ヴォーン・ウィリアムズの交響曲を全て理解しながら聴き通すには結構時間が掛かると思います。ヴォーン・ウィリアムズの曲はチューバ・コンチェルト、特にジョン・フレッチャー(Tub.)/プレヴィン/LSO盤しか聴かない酔狂な人がいてもおかしくないと思います。勿体無い気もしますが。

交響曲と声楽(合唱)については、該当する英語版Wikipediaに非常に詳しく書かれています。この概念を最初に提唱したのは何とベルリオーズだったそうな。やっぱりな、と思わず言いたくなってしまいます。ベートーヴェンの音楽と比べてしまうと、ベルリオーズの音楽は50〜100年先の未来を先行しているようなものばかりなのですから。ファウストの劫罰しかり、ロメオとジュリエットしかり、幻想交響曲しかり。

上乃木 燕二
クラシック音楽のブログを運営しています。後期ロマン派〜新ウィーン楽派がメイン。交響曲ネタが多目。オペラ・室内楽を扱うべく奮闘中。元トロンボーン奏者。チェロやりたい。マーラーとテンシュテットが心の師匠。