ロシアン・オーケストラへの招待

アメリカンなクラシックについて語っておいて、ロシアンなクラシックについて語らないのは何とも不公平感があるように感じられてなりません。冷戦時代及びポスト・冷戦時代におけるソビエト・ロシアンなクラシックもまた、アメリカンに負けず劣らずのトンデモナイ録音が数多く残っているためです。

冷戦時代のロシアと言えばもちろんソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)です。社会主義国家と音楽には密接な関係があります。現在においても、最近一層騒がしい例の半島国なんて特に顕著なのですが、国民と国勢を鼓舞するという重大な役割が音楽に備わっています。つまり社会主義国家における音楽活動とは国家政策の一環なのです。音楽と政治が無関係では無いのは歴史が証明しています。ショスタコーヴィチにお詳しい諸兄にとっては何を今更と言いたくなる当たり前の事実でしょう。

そんな時代のソビエト物を聴いた人なら誰でも感じるでしょうが、ソビエトのオーケストラにおける金管、とりわけトランペットは革命の勝利とでも言うかのような赤いラッパなのです。ソビエトは何処かのなんちゃって独裁国家とは訳が違います。社会主義の理想と実現を声高らかに歌い上げるのがこの赤いトランペットであり、“立てよ国民!立てよプロレタリア!!”というメッセージを聴く者全てに伝える社会主義的プロパガンダのように聴こえてなりません。この赤いラッパの音色がまた病みつきになる中毒性を今でも尚保っています。ロシア物のクラシック音楽には多くの同志(単なるファンではない熱狂的信者)ができる訳です。

加えて、冷戦時代におけるソビエト物の録音には、アメリカのような資本主義国家に負けるな追い越せと言わんばかりの迫力と緊張感があります。科学・文化・芸術の世界においては、表からは決して見えない戦いが絶えず起こっていたように思うのです。未だかつて、ソビエト物ほど統一感のある音楽は存在していないでしょう。今回ご紹介する盤も半分以上がソビエト物です。そこから出て来る音楽に内在する魅力は、ソ連が解体された今においても十二分に通用する凄まじいものであり色褪せないものであると思います。

また、アメリカと決定的に違うのは、ロシアには大作曲家が数多く存在していた点です。枚挙すると切りがないほど多いです。その中でもチャイコフスキーは一際特別な存在のはずです。チャイコフスキーの音楽はロシア国民にとって大きな誇りであることに間違いありません。それにソ連の政治体制が加われば、国の威信を掛けてそういった音楽の録音を残そうとしたことにも納得が行きます。

自由とは名ばかりでだらしのなくなった現代の聴衆に対し、ロシアンなクラシック音楽が訴えてくるものが確実に存在します。束縛のない自由はただの無秩序であることを、十分過ぎるほど聴き手に分からせてくれるのです。そんなソビエト・ロシアにおけるクラシックの世界に踏み入ってみたいと思います。

尚、チャイコフスキーの”眠れる森の美女”、”白鳥の湖”、”くるみ割り人形”といったバレエ音楽は1つも無い事を予めご了承願います。それからショスタコーヴィチの交響曲もほとんどありません。ショスタコーヴィチは別の機会があれば取り上げたいと思いますが、多分その機会は当分来ないと思います。


■チャイコフスキーの後期交響曲集:ムラヴィンスキー/レニングラードフィル(60年代/DGセッション録音盤)

現在最も著名なソビエト人指揮者はムラヴィンスキーでしょう。ムラヴィンスキーの音楽を一言で表現するのならば”ムラヴィンスキーの音楽”としか言えないのです。この世に絶対なんてものは存在しない事は哲学的に理解できますが、彼の音楽を聴いて真っ先に思うのがこの“絶対性”です。

彼の音楽は奏者・聴衆を問わず、彼の音楽に関わる者全てに対し、何の有無をも言わせない絶対的な解釈と雰囲気があります。その辺の特徴はフルトヴェングラーの音楽に似ているのですが、そんな物とは全く違っていると言って良いと思います。

ムラヴィンスキーの音楽には、過去の伝統、伝統から培われた民族性や精神性、西洋性と言った普遍的で主観的な価値観が何も存在しません。彼は彼自身をも含めた一切の普遍的価値観を放棄し、ただスコアを眺めて闘争した結果だと言うかのように、彼独自の解釈でもって音楽を再構築させているのです。謂わば虚無と絶対の音楽なのです。誤解を恐れずに砕けて言えば、極めて人間味や情緒感が無い音楽なのです。フルトヴェングラーの音楽とは全く別物と言って良いと思います。

そうとは言え、ムラヴィンスキーの音楽は彼1人で実現していた訳ではもちろんありません。何よりオーケストラの奏者がついてこなければならないからです。私が思うに、ムラヴィンスキーにも増して異常なのは奏者の方です。レニングラードフィルのアンサンブルは常軌を逸していると見て間違いありません。あまりにも整いすぎているのです。これには流石にソ連政府と政治的圧力が脳裏に浮かんで来ない訳には行きません。

計画経済体制のソ連という共産主義国家における労働者とは、(例外はあるにせよ)皆揃って国家公務員であり、国レベルのオーケストラで身を立てる奏者も例外なく国家公務員です。もしゲネプロ(本番では無い所がミソ)でしくったり音を外しでもしたら、何処からともなくソ連政府関係者が舞台袖までツカツカとやって来て、“同志、喜びたまえ!明日からは栄誉あるシベリア勤務だ!!”なんて言われそうな恐ろしい雰囲気があります。もしも私がこの時代のソ連に生まれていて、そんな政府関係者の職があれば必ず就いていたと思います。こういうの得意なんですよ、私。もちろんフィクションですよ、この話。

ソ連時代のシベリア勤務とは帰ってこないマグロ漁船に乗るようなものです。極寒の地シベリアでの林業等に生涯を通して勤しむ運命になります。シベリアの過酷な環境に耐えられなければ、それは実質の死刑勧告なのです。”シベリア送り”とは単なる左遷や島流しなんていう生半可なものでは決してありません。粛清とはこういう事を言うのです。このジャケット絵を見ていると、その雰囲気が何となく理解できるのではないでしょうか。

レニングラードフィルの演奏を聴くと、これらの事がギャグに聴こえなくなるので困ります。こんなオーケストラはレコード史上や世界中のどこを探しても存在しません。近いものだとトスカニーニ/NBC響ぐらいでしょうが、ムラヴィンスキー/レニングラードフィルのコンビによる音楽レベルと同じであるとは決して言えないように思います。

話を盤紹介に戻すと、ムラヴィンスキーの傑作と言えばやはりチャイコフスキーの交響曲だと思います。彼のチャイコフスキーの録音はそれは山のように存在していますが、私にとっての一番はやはりこのDG盤です。安定した録音状態で聴けるからです。60年代の録音なので流石にノイズがありますが、チャイコフスキーの音楽ではそれほど気にならないのです。

収録されている4,5,6番は、どれもが甲乙付けがたい非常にムラヴィンスキーらしい音楽だと思います。私は6番について書いた時にも挙げたように、6番を一番良く聴いています。上述したようなムラヴィンスキーの音楽の特徴を一番良く掴めると思うからです。やはりムラヴィンスキーの6番”悲愴”は未来永劫、他のどの指揮者やオーケストラでも到達できない伝説的な録音だと思います。


■ショスタコーヴィチの交響曲第5番:ムラヴィンスキー/レニングラードフィル(84年盤)

ムラヴィンスキーはまた、ショスタコーヴィチの多くの交響曲を初演した指揮者でもあり彼と交友関係のあった人物でもあります。”初演者だから素晴らしいのだ”なんて、一昔前のアホな評論家やクラシックファンのような事は決して言いません。

ムラヴィンスキーによるショスタコーヴィチの録音も、これまた山のようにあります。私が一番好きな5番の録音はこの84年盤です。最晩年盤ですが録音状態が決めて宜しいからです。

ショスタコーヴィチの5番における一番の聴き所は3楽章だと思います。4楽章しか聴かない資本主義の犬はシベリアに行ったまま帰ってこなくて良いです。タコ5の3楽章は、極寒のロシアにおける孤独と忍耐を表現していると思わずにはいられません。このムラヴィンスキー盤を聴けば言っている意味が分かるはずです。冬の季節にピッタリな音楽ですが、これを聴くと暖房を入れていても思わず寒気がして来る、恐ろしい録音だと思います。


■ブラームスの交響曲第4番:ムラヴィンスキー/レニングラードフィル(73年ライブ盤)

ヴァイオリンのお稽古に勤しむ良い子のみんなは決して聴いてはいけない、学校では教えてくれない最強のブラームス4番がこのムラヴィンスキー盤です。アルヴィド・ヤンソンス/シュターツカペレ・ドレスデンのブラ4も同様です。ソビエトの指揮者は揃いも揃って、何でこうもトンデモナイ録音を残すのでしょうか。

ムラヴィンスキーの音楽の領分は何もロシア物だけではありません。モーツァルトやブラームスだって平気でやってのけます。このブラームスの4番は極めてムラヴィンスキーらしいブラームスです。普通の人がこれを聴いたら思わず耳を塞ぎたくなると思われます。4楽章冒頭部のバストロンボーン、普通に聴いたらこれしか耳に残りません。これはチャイコフスキーの録音ではないのです。ブラームスの録音なのです。ムラヴィンスキーの音楽というは如何なるものなのか、良くわかると思います。


■チャイコフスキーの後期交響曲集:スヴェトラーノフ/USSR(60年代/Aulos盤)

ソビエトからやって来た第二の刺客は、みんな大好きスヴェトラーノフです。赤い扇風機でお馴染みの例のあの人です。スヴェトラーノフについては大学時代に友人から教わり、粛々と指揮をする姿と扇風機との対比をDVDで初めて見た時は、思わず笑い転げそうになったものです。ソ連崩壊前後では日本にも頻繁にやってきたので、来日公演やN響を振った時の実演を聴いた方も多いのではないでしょうか。この人にチャイコフスキーを振らせたら右に出るものはほとんど居ないと言って良いと思います。

個人的にスヴェトラーノフ最大の業績は、このチャイコフスキー後期交響曲集だと思います。ソビエトで初めて収録されたステレオ録音のチャイコフスキーだからです。彼は後の90年代にも全集を残したり東京でチャイコフスキー・チクルスプログラムを振ったりしたのですが、私はやはりこれが一番すきです。

スヴェトラーノフもご多分に漏れず、歳を重ねるにつれて楽曲に対する解釈が老成されていくタイプの指揮者です。晩年の粘っこいチャイコフスキーも素晴らしいのですが、私はどちらかと言えばスカッとした快速なテンポのチャイコフスキーが好きなので、必然的にこちらのAulos盤を採ることになります。

上述のムラヴィンスキーに比べれば実に人間味のあるチャイコフスキーだと思います。ただし聴こえてくる音色はこちらも極めてソビエト的です。これが肌に合わないとロシアンなロシア物はキツいと思います。60年代にしてはまぁまぁ良好な録音状態だと思います。私は今も普通に聴きます。ボリュームの調整はムラヴィンスキー盤以上に気を使いますけど… 赤いラッパはスヴェトラーノフ盤の方が分かりやすいと思います。本当に歌を歌うかの如く鳴り響くからです。

※USSRと便宜的に記載していますが、本来は“ソビエト{国立}響(USSR {State} Symphony Orchestra)”とでも表記すべきものです。USSRはソ連の正式名称の略(Union of Soviet Socialist Republics)です。私は”USSR”の略称で馴染んでいるので、何卒ご了承下さい。


■カリンニコフの交響曲全集:スヴェトラーノフ/USSR(60年代)

最近になって少しずつ嵌っているのが、カリンニコフの交響曲です。他のロシア人作曲家に比べるとマイナーなのでしょうが、とりわけ1番は哀愁漂うメロディラインと弦楽の美しさが光る名曲だと思います。弦楽奏者が如何にも好きそうな音楽です。とは言え、楽曲構成にはブルックナーのような渋さがあるため、確かに聴き手を選びそうな音楽ではあります。

どうしても退屈になりがちなカリンニコフの録音ですが、スヴェトラーノフ/USSRの黄金コンビとなればそんな心配は無用です。この1枚は私の中でのカリンニコフの決定版です。もっと増えて頂けないものですかねぇ、カリンニコフの録音。


■ボロディンの交響曲全集・”イーゴリ公”より抜粋他:スヴェトラーノフ/ロシア国立響(90年代)

私はそこまで好きではないのですが、ボロディンの音楽もチャイコフスキーに負けず劣らずの魅力があると思います。有名なのは交響曲第2番、”イーゴリ公”(序曲とダッタン人の踊り)、”中央アジアの草原にて”でしょうか。

ボロディンの音楽は実に民族臭い情緒に溢れていると思います。そんな音楽となるとこのスヴェトラーノフ晩年盤のような、ソビエト臭さが抜けつつあるソ連崩壊後の演奏で楽しみたくなります。中でもボロ2は、晩年のスヴェトラーノフらしい重たくも堂々した演奏だと思います。

楽団の名称がソ連崩壊前後であまりにも変わってしまうので、ここらでまとめておきたいと思います。

  • レニングラードフィル → サンクトペテルブルクフィル
  • USSR(USSR {State} Symphony Orchestra) → ロシア国立響(State Symphony Orchestra of Russia)
  • USSR大放送響(USSR RTV Large Symphony Orchestra) → チャイコフスキー・モスクワ放送響(Tchaikovsky Symphony Orchestra of Moscow Radio)
  • USSR国立文化省響(USSR MCSS Orchestra) → ロシア国立シンフォニー・カペラ(State Symphony Capella of Russiaa)
  • キーロフ管(Kirov Orchestra) → マリインスキー{劇場}管(Mariinsky {Theatre} Orchestra)

■ブラームスの交響曲全集:スヴェトラーノフ/USSR(80年代)

ロシア物のブラームスには確かに一風変わった録音が多いのも事実です。このスヴェトラーノフ盤もロシア的なブラームスであることに違いないのですが、ムラヴィンスキーほどあからさまでは無いため比較的落ち着いて聴けるものだと思います。

私は個人的に、ブラームスの2番はもっとはっちゃけた演奏があって然るべきだと思うのです。C.クライバーの映像や録音みたいに。ラトル盤も面白いです。センスがないと言われればそれまでの事なのですが、やはりスヴェトラーノフ盤もロシア色に染まってはいながらも面白いブラ2だと思います。これぐらい迫力があってくれると楽しいです。


■ドヴォルザークのチェロ協奏曲:ロストロポーヴィチ(Vc.)/スヴェトラーノフ/USSR(68年モノラルライブ盤)

ソビエト物を扱う上でこの1枚は絶対に外せないでしょう。1968年8月21日、ソ連によるチェコスロヴァキア侵攻の翌日のイギリス(RAH)において、チェコの大作曲家ドヴォルザークの大傑作曲をソビエトのソリスト・指揮者・オーケストラが演奏した時の歴史的録音なのですから。

1968年なんて当時はインターネットもスマホもありません。一般市民にニュースがもたらされる手段は主にラジオと新聞だけです。西側国家であるイギリスの一般市民達が、ソ連に対して怒りと抗議を訴えるべく、この録音の最初には聴衆からのヤジが入っています。こんなコンサートは今時考えられません。バレンボイムのイスラエルにおけるワーグナー上演問題ぐらいでしょうか。

肝心の演奏の方は極めて快速です。スヴェトラーノフらしい音楽と言えばそれまでなのですが、チェロ界の大巨匠・ロストロポーヴィチの独奏にも凄まじいものがあります。チェロを演奏する機械の如く正確無比なのです。早く終わって欲しいとも取れる演奏解釈ですが、出て来る音楽は全力全開です。バックのオケも非常にソビエト的で赤い音色が轟いています。

3楽章の終演後には、不気味に大きく揃ったブラボーが聴こえてきます。ソ連政府側が用意したサクラなのではないかと思ってしまいますが、演奏された音楽が素晴らしいのもまた事実なのです。この1枚にはドラマがあります。これを聴いてどう解釈するかは、聴き手一人一人にかかっていると言えるでしょう。


■チャイコフスキーの後期交響曲集:ロジェストヴェンスキー/USSR大放送響(70年代)

ソビエトからの第三の刺客はロジェストヴェンスキーです。この人のチャイコフスキーもまた凄まじいのです。これらムラヴィンスキー・スヴェトラーノフ・ロジェストヴェンスキーの3つが、ソ連時代のチャイコフスキー3大交響曲集だと思います。

ロジェストヴェンスキー盤で最も顕著なのがダイナミクスレンジです。ムラヴィンスキー盤よりもスヴェトラーノフ盤よりも更に炸裂した金管が聴こえてきます。ロジェストヴェンスキー盤は文字通り最強に赤い金管なのです。4番の1楽章を聴いただけでもお腹いっぱいになります。そこではホルンもトランペットもトロンボーンも関係なく、全てが炸裂しているのです。これぞソビエトの象徴だと言わんばかりの超爆演です。聴く時はボリュームの調整が大変です。下手すると耳が壊れそうになるからです。


■ブルックナーの交響曲第8番:ロジェストヴェンスキー/USSR国立文化省響(85年盤)

とうとうこれを出してしまいました。正真正銘、ソビエト物のブルックナーです。あまりに珍しい盤なのか、ジャケット絵の表紙すら今現在においてもネット上で見つけておりません。

後にロンドン響でも指揮を振ったロジェストヴェンスキーの解釈は、一般的なブルックナーを聴いている聴衆にとってまだ優しい解釈だと思います。ロジェヴェン盤はトランペットが赤い事を除けば、ブルックナーらしいブルックナーだと思います。チェリビダッケに似た雰囲気があります。チェリに比べたらテンポは早めですが、粛々とした雰囲気がやや似ているのです。

それにしても、USSR国立文化省響(USSR Ministry of Culture State Symphony Orchestra、USSR MCSS Orchestra)とは凄い名前です。日本で言えば文科省や文化庁が自前(国民の税金ですよ)で交響楽団を抱えるようなものです。もしもこんなオーケストラが日本で存在しようとすれば、”日本文化庁国立交響楽団(Japan Agency for Cultural Affairs National Symphony Orchestra、Japan ACANS Orchestra”になると思います。信じられますか?ありえないでしょう。ソ連はやはり社会主義国家だと感じさせます。


■ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番:ロストロポーヴィチ(Vc.)/ロジェストヴェンスキー/レニングラードフィル(61年モノラルライブ盤)

一番の聴き物はもちろんロストロポーヴィチのチェロなのですが、それにも増して4楽章におけるピッコロの悲鳴が気になって仕方ありません。これを聴く時はボリュームの調整に気を使った方がいいです。マジで。これまた下手すると耳が壊れてしまうからです。ロジェストヴェンスキーは何と耳クラッシャーな指揮者なのでしょうか。


■グラズノフの交響曲全集:フェドセーエフ/USSR大放送響(70〜80年代)

正真正銘のソビエト物はこれで最後です。ソビエトからの最期の刺客はフェドセーエフです。ムラヴィンスキーやスヴェトラーノフの比べるとややマイナーな指揮者ですが、チャイコフスキー・モスクワ放送響のマーラー録音を初めとして、ロシア国内において幅広く活躍した指揮者の1人だと思います。

グラズノフの音楽もこれまたマイナーだと思います。”四季”、”ステンカ=ラージン”の方はやや有名かもしれませんが、交響曲の方はもう全然だと思います。しかしこれが何と8曲もあるのです。このフェドセーエフ盤を買えばコンプリートできます。いやはや便利な時代になったものです。

ご多分に漏れず私もあまり聴かないのですが、中でも4,5,7,8番はまだ聴く方です。グラズノフの音楽が好きなのかソビエトの音楽が好きなのか判断が付きませんが、とりあえずこの1枚で私は満足しています。


■ラフマニノフの交響曲第2番:プレトニョフ/ロシア・ナショナル管(93年)

プレトニョフの録音は爆速です。ソビエト・ロシア系指揮者はこれまた何とも速いテンポを好みがちです。ソビエト時代なら技巧を周辺国へ誇示する狙いがあるのと解釈できるのですが、ソ連崩壊後にやられるともうお遊びにしか思えなくなります。

このラフマニノフの2番の4楽章冒頭部を聴けばよく分かるはずです。私が所持しているラフ2では一番速いです。もはやロシアのお家芸であると言いたくなります。それ以外は極めてオーソドックスなラフ2だと思います。面白いのですが私はそんなに聴くものではありません。


■グリンカの”ルスランとリュドミラ”序曲他:プレトニョフ/ロシア・ナショナル管(94年)

“ルスランとリュドミラ”序曲の爆速演奏と言えばムラヴィンスキーなのでしょうが、このロシア序曲集で聴くことができるプレトニョフの演奏も十分凄まじいです。演奏時間は何と4分49秒(4分47秒で収録されている別アルバムも有)なのです。5分台の演奏が主なはずです。あのテンシュテット/ロンドンフィルのライブ盤でさえ5分26秒です。もうロシアの時代ですよ、これ。


■チャイコフスキーの交響曲第6番”悲愴”:ゲルギエフ/キーロフ管(97年)

待ちに待ったゲルギエフです。キーロフという地名はソ連崩壊後の92年に改名されているはずですが、CDを販売したレーベルの問題なのか、マリインスキー{劇場}管(Mariinsky {Theatre} Orchestra)を旧称のキーロフ管のまま販売されている物も多いです。本当にややこしいと思います。

ゲルギエフの音楽にはソビエト臭さはほとんど無いと言って良いと思います。ここからがポスト・冷静時代のロシア物です。流石に盛り上げ方にはロシア臭さを感じますが、ソビエト時代に見られた統一感や赤い金管は鳴りを潜めています。ロシアにもようやく自由とグローバルの波が来たという訳です。

冷静になってこのゲルギエフの悲愴を聴いてみると、私がこの盤が好きな理由はトロンボーンにあるのだと気が付きました。トランペットはほどほどですが、トロンボーンの音色はまだまだ赤いからです。と言っても共産・社会主義的な赤さというよりも、情熱の赤さのように感じます。ソビエト時代ほど強烈ではないと感じるのです。

トロンボーンはとりわけ1楽章が凄まじいです。バストロンボーンもヤバいです。ソビエト物だと捉えるとこれでもまだ普通だとは思います。チャイコフスキーはやっぱりこうこなくちゃ、と納得できる1枚です。ゲルギエフは新時代のロシア・クラシック界隈を先導する名指揮者だと思います。


■チャイコフスキーの1812年序曲他:ゲルギエフ/マリインスキー管(90〜00年代)

ロシア物にしては随分落ち着いたチャイコフスキーの録音だと思います。落ち着いて聴けるロシアンなチャイコフスキーというのもこれぐらいだと思います。1812年序曲も金管が全然爆発しません。まさに新時代のチャイコフスキーに相応しいとは思いますが、どこか寂しい気持ちになるのも正直な感想です。

1812序曲の方は何と大砲を使用しています。今時珍しい録音です。それにしても随分地味な大砲ですが… 派手な大砲をブチかます1812序曲と言えば、やっぱりドラティ/ミネアポリス響でしょう。あちらは気をつけないと耳の鼓膜が破れそうになります。私にはゲルギエフ盤でも十分です。


■ショスタコーヴィチの交響曲第5番・第9番:ゲルギエフ/マリインスキー劇場管(02年)

ロシア物のショスタコーヴィチとしては地味だと思いますが、5番も9番もオーソドックスで良い演奏だと私は思います。実は9番の録音の方が好きだったりします。9番4楽章のトロンボーンが凄まじいからです。これぐらいやって貰えるとスカッとします。聴く者全てをおちょくるような9番は、ゲルギエフ盤ぐらいアッサリした方がそれっぽいと思います。


■ヴェルディのレクイエム:テミルカーノフ/サンクトペテルブルクフィル(2010年)

最後はテミルカーノフ盤で締めたいと思います。本当はハチャトゥリアンのバレエ音楽組曲”ガイーヌ”あたりを持ってこようと考えたのですが、オケがロイヤルフィルの録音しか手持ちになかったので潔く諦めました。また、ハチャトゥリアンの録音にはEMIから出ていた自作自演集があって、それがまぁ何とも強烈過ぎるため、それを差し置いて他盤を紹介するのも何か変な気がするのです。

St.ペテルブルクとなったレニングラードフィルはやはり弱体化したように聴こえてなりません。ソビエト時代の録音に毒されているとこのように感じてしまうのです。このテミルカーノフ盤のヴェルレクも十分に凄まじい録音だとは思いますが、少々パンチ力が足りないと感じてしまいます。ほど良くロシア的な演奏で良いものだとも思いますけど。

上乃木 燕二
クラシック音楽のブログを運営しています。後期ロマン派〜新ウィーン楽派がメイン。交響曲ネタが多目。オペラ・室内楽を扱うべく奮闘中。元トロンボーン奏者。チェロやりたい。マーラーとテンシュテットが心の師匠。